バート・レイノルズ主演の「シャーキーズ・マシーン」(82年)に印象的なシーンがある。

 レイノルズふんする麻薬課の刑事は、事件のカギを握る高級コールガールの自宅を監視・盗聴している。窓越しに見える下着姿のレイチェル・ウォードが思いっきりセクシーで、刑事はしだいに彼女のとりこになっていく。映画の行方を決定付けるこの場面で流れ、彼女がそれに合わせてハミングしているのがチェット・ベイカーの「マイ・ファニー・バレンタイン」だった。

 この曲はその後も繰り返し挿入され、気だるそうな中性的な歌声がウォードの魅力を代弁する役割を果たしている。私にとっては初めて聞くベイカーの「歌声」でもあった。

 トランペット奏者のベイカーがなぜ歌うようになったのか。決してうまくはない歌に、どうして不思議な魅力が宿るのか。ベイカーの後半生にスポットを当てた「ブルーに生まれついて」(ロバート・バドロー監督、11月26日公開)に答えがあった。

 チェット・ベイカー(1929~88年)は50年代半ば、一時はマイルス・デイビスをもしのぐ人気を誇った白人のジャズ・トランペット奏者だ。バードことチャーリー・パーカーにもその実力を認められながら、マイルスに対するコンプレックスは最後まで抜けなかったようだ。

 ヘロインに溺れていったのもマイルスの存在がきっかけなら、半ばやけくそ気味に歌い出したのもマイルスを意識してのことだった。ベイカーの人生に置いてマイルスは完全に「悪役」である。ベイカーにスポットを当てながら、この映画はマイルスという存在の大きさを改めて印象付ける。

 西海岸で「新星」として注目を集めたベイカーは、最高レベルのミュージシャンが集うニューヨークの名門ジャズクラブにさっそうと乗り込む。だが、彼の演奏を聴いたマイルスから「キャンディのように甘い音だ。ここでやりたいなら出直してこい」と酷評される。

 トランペットの実力とともに意地の悪さでもマイルスの右に出る者はいない。私も83年の来日時、成田空港の取材でその「毒」を浴びせられたことがある。

 歯の浮くような歓迎の言葉を投げかけたのが、逆にかんに障ったのかもしれない。声は小さかったが、しわがれ声の中に「…ヴィッチ…」と聞き取れたから、翻訳をはばかるような言葉だったに違いない。当時57歳のマイルスは持病の股関節症を悪化させ、両脇をスタッフに抱えられていた。「妙にオシャレな小柄な老人」にしか見えなかったのだが、近づくとサングラス越しにも、その眼力はすくみ上がるほどだった。

 西海岸でもてはやされてきたベイカーには、帝王と言われたこの男の酷評がきつかったのだろう。これをきっかけに転落。クスリの売人に殴られて前歯を折り、トランペットも吹けなくなってしまう。

 映画の重心は、彼がしっかり者の恋人に支えられ、復活を遂げていく部分に置かれている。クスリを絶ち、義歯で吹く痛みに血みどろで耐えながらトランペットの感を取り戻していく。努力は徐々に実り、付き合いの長いプロデューサーが「技術が落ちたぶんだけ味が出ている」と漏らすセリフが象徴的だ。歌はその「味」をさらに濃くする要素として加えられる。

 そして、最後はニューヨークのクラブにマイルスを招いて心機一転の再お披露目である。強烈な「圧」を感じている楽屋のベイカーの前には禁断のクスリがある。それに手を出すことは彼をそこまで立ち直らせた恋人との別れを意味する。どうするベイカー? ジャズ史に明らかなことだが、作品の興趣を削ぐことになるのでここでは触れない。

 ベイカー役のイーサン・ホーク(45)が好演だ。自らの才能を生かし切れない繊細で不器用な男の実像がくっきりと輪郭を結んでいる。恋人役のカルメン・イジョゴ(42)はマイルスの名盤「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」のジャッケットで有名な彼の元妻フランシスにうり二つだ。まさか「マイルスの影」を意図したキャスティングではないと思うが。

 <1>トランペット<2>恋人の名前のジェーン<3>ヘロイン<4>その中毒を緩和する治療薬メタドンの4つが、キーワードとしてしばしば登場する。が、裏のキーワード「マイルス」ばかりが脳裏に焼き付く作品だった。

 「シャーキーズ・マシーン」をもう一度見る機会があれば、ベイカーの歌声の裏側にあのギロリと怖いマイルスの目が重なって見えそうである。

 そのマイルスに関しては「MILES AHEAD マイルス・デイヴィス空白の5年間」というユニークな作品が12月に公開される。後日、この欄で紹介したいと思う。【相原斎】