プレーバック日刊スポーツ! 過去の11月29日付紙面を振り返ります。1991年の芸能面(東京版)は中村橋之助と三田寛子の挙式・披露宴でした。

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 歌舞伎界のホープ中村橋之助(26=本名・中村幸二さん)とタレントの三田寛子(25=本名・稲垣敦子さん)の挙式・披露宴が28日、永山武臣松竹会長夫妻の媒酌で東京・虎ノ門のホテルオークラで行われた。披露宴には森光子、和田アキ子、松本幸四郎ら芸能人をはじめ860人が出席し、二人の門出を祝った。三田は来春にも仕事が一段落した時点で芸能界から引退し、主婦業に専念する。

 オークラで一番広い宴会場「平安の間」を埋めた出席者は860人。歌舞伎の尾上菊五郎、片岡孝夫をはじめ、佐久間良子、中森明菜、薬師丸ひろ子ら芸能界の華やかな顔ぶれがそろった。

 午後1時、新郎・新婦が入場すると、会場から大きな拍手が起こった。三田は、義父となる中村芝翫の見立てで選んだ、赤の打ち掛け姿。橋之助に従い、はにかむ三田に「かわいい」の声も飛んだ。三田のお色直しは計2回。ピンクの地に梅の絵柄の振りそでに、白のイブニングドレス。その度に広い会場を隅から隅まで練り歩き、体を心配した和田アキ子が「大丈夫?」と聞くと、明るい声で「頑張りまーす」。初々しい花嫁に会場に笑いが広がった。

 三三九度の杯は、橋之助の両親が35年前の挙式で使ったものと同じ。さらに高さ50センチのウエディングケーキが三田の手作りと、アトホームで明るい披露宴が涙で包まれたのは、司会の山川静夫アナが最後に三田が父(稲垣祐三さん)に送った手紙を披露した時だ。「芸能界を夢見て飛び込んだ10年前。ある日、上京した父は寮で私の帰りを遅くまで待ち、ひと目だけ会って帰りました。あとで聞くと、その日はホテルも取れず、映画館で一夜を過ごしたといいます。“甘えたらあかん”が父の口グセでした。愛情ゆえの父の厳しさを胸に嫁いでいきます」と読み上げられると、三田は嗚咽(おえつ)し、感動が会場を満たした。

 三田は6月の婚約発表までは「結婚後も、芸能活動を続ける」と話していたが、今では橋之助が歌舞伎役者として大成するために内助の功に徹することを決意。レギュラー出演しているテレビ朝日「いいな世界WA」など、残っているテレビの仕事を終えた後、芸能界から引退する。

 今後は歌舞伎役者の妻に専念することになるが、三田は「全然不安はありません。お母さんも教えてくれるし、頑張ります」ときっぱり。橋之助の舞台が12月、来年1月と続くため、新婚旅行は来年夏ごろの予定。歌舞伎の場合は初日に夫人が劇場に詰める慣習があり、橋之助が出演する歌舞伎座公演初日の12月1日が「橋之助夫人」としての初仕事になる。

◆幸せ一問一答◆

 --挙式を終えた感想は

 中村橋之助 芝居と違っておけいこがないので、たいへん緊張しました。結婚指輪を交わして、やっとホッとしましたよ。外は雨ですが、目の前の雲が晴れて太陽が照らしているような気分です。

 三田寛子 とにかく胸がいっぱいです。きのうは緊張してなかなか眠れませんでした。(中村の)好江姉さんが少しお酒を飲むと化粧の乗りがいいよと教えてくれまして、ふだん飲めないお酒を、きのうはちょっとだけいただきました。

 --二人でどんな家庭を築いていきますか

 中村 何かを望むというより、自分が役者として勉強して自分自身を磨いていかなければいけません。私がどうしろというのではなく、互いに尊敬し合える夫婦になりたい。みけんにしわを寄せない家庭をつくりたいですね。

 三田 るい健康的で楽しい家庭にしたい。私の手料理でお客さまを呼べるようになりたいですね。料理も勉強中なんです。

 --子供はいつごろ?

 中村 勘九郎兄さんの子供を見ていると、うちも早く欲しいなと思います。私のスケジュールが詰まっているので、新婚旅行は夏ごろになってしまいそうです。

 --きょうから二人の新たな生活がスタートするわけですが

 中村 トイレに行ったときに、この指輪をして手を洗っていいものだろうかと不安になりました。この指輪がしっくりきたときが本当の夫婦なんですね。これからは「ぼっちゃん」から「若だんな」と呼ばれるわけですから、気持ちが引き締まる思いがします。

 三田 この前、私のファンクラブに入っていた人たちからも頑張れよと声をかけられて本当にうれしかった。これだけみなさんに応援されているのだから、本当に頑張りましょうね(と、傍らの中村を見詰めた)。

※表記は当時のもの