昭和を代表する大ベテラン音曲漫才トリオ「かしまし娘」の正司歌江(88)照枝(84)花江(81)が20日、大阪・道頓堀角座で、12年ぶりに3人そろって舞台に立った。

 一昨年、歌江は心臓を悪くし、一時は危険な状態にあったが、昨年、療養を経て体調が戻ったといい「元気です。食べたいもん食べて、イライラなくしたらええ」と、我流健康法での“復活”をアピールした。

 花江によると、歌江は心臓病を患った影響で「一時は声が出なくなっててね。歌江姉ちゃん、めちゃめちゃええ声やったのに…と思ってたら、元気になってくれた」と明かした。

 この日は、よゐこが進行したトークライブ「師匠は鎹(かすがい)」。松竹芸能へ最初に所属した「かしまし-」がゲスト出演し、思い出トークを展開。約1時間10分にわたり、3姉妹のトークは止まらず、“かしましい”3姉妹の健在ぶりを存分に発揮した。

 若い頃は楽屋での姉妹げんかが激しく、歌江は「私らのけんか、止められるのは(兄弟コンビの喜味)こいし師匠しかおらんかったもんね」。当初は漫才嫌いだった照枝がネタを覚えず、稽古をさせるために歌江は「昼食代のギャラをためて焼き鳥おごって、覚えさせた」などと言い、姉妹で耐えてきた日々を語った。

 子供の頃から舞台に上がっていた姉妹は、仕事に疲れ、長姉の歌江は「薬物中毒だった」ことも告白。妹2人を気づかい、事務所に「明日から仕事を入れないで」と歌江が訴えたところ「翌日から1年間、まったく仕事なくなった。レギュラー6本もなし」になった時代もあったという。

 歌江は仕事をなくし結婚し、富山へ。いったん照枝、花江で漫才をしたものの、まったく売れず。歌江を呼び戻し、トリオ漫才を始め、松竹芸能の名物社長だった勝忠男氏(故人)の力で、売れっ子になった。

 当時は松竹芸能の勢力が強く、ライバルの吉本興業はいったん寄席経営から離れていた。花江によると、故林正之助元会長が「給料倍払うから」と引き抜きに来たことがあったといい、歌江が即諾。ところが、帰宅すると父が「松竹芸能、勝さんのおかげでご飯を食べられてる」と激怒し、残留を決めたという。

 この日は、途中から酒井くにお(69)とおる(66)が登場し、2人は歌江の“脱ぎぐせ”を暴露。飲みに行き、機嫌が良くなると、歌江が脱ぎ始めるといい「止めるの、大変やった」と振り返った。

 歌江は「楽しくなるから、何か喜んでもらいたくて、裸で踊るの」と、脱ぐ理由を説明。すると、照枝が「どこがサービスやねん」とつっこみ、わかせた。

 休憩もはさまずしゃべり続けた姉妹は、同ライブを主催している有野晋哉(45)から「来年もやりましょう」と誘われ、「やります」と即答。三味線、ギターと楽器こそないものの「それでは みなさま ご機嫌よう~」と、名フレーズで締めた。

 終演後、写真撮影に応じ、ライブの感想に照枝は「どってことない。来いと言うから」と、相変わらずの自由人ぶりを発揮。歌江は「うれしかった」と言い、花江は「感謝ですね」。最近は姉妹でマージャンをすることも減り、花江も直前まで風邪をひくなどし、照枝ともども体調が優れなかったようだが、久々の姉妹共演を満喫した様子。

 来年への出演について、確認されると、歌江は「生きてればね」と笑わせていた。