平成から令和へと時代が移る中、1本の映画が大きな反響を呼び、全国に上映が拡大している。足が悪い兄が、生活のために自閉症の妹の、売春のあっせんを始める…その兄妹を通し、家族の本質を問う映画「岬の兄妹」(片山慎三監督)だ。妹の道原真理子を演じた和田光沙(35)が、全裸シーンを含め身を投げ出すように演じた映画について語った。【村上幸将】
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失踪した妹を、血眼になって捜す兄…昭和の映画を思わせる真っ赤なタイトルが出る冒頭から、目を放せない展開が続く中、いきなりヤマ場を迎える。男と一緒にいた真理子を発見した兄良夫は、入浴中の真理子のズボンから金銭、下着には男の精液が付いているのを見つけ、激怒する。そのシーンで、和田は全裸のまま風呂から飛び出して、良夫役の松浦祐也(38)に殴られるシーンを演じた。
和田 自閉症の子供を持つお母さんが、水に入るのが嫌で、お風呂に入れるのが結構、大変だと書いた本を読んだのを思い出しながらやりました。元々、自主映画でたがが外れたようなことを結構やってきて、ピンク映画もやっていたしので、抵抗や、すごいことをやっているという感覚は、あまりなかったですね。
全裸で殴られる中、松浦の気配りを感じた。
和田 アクションがあるシーンなので、テストで入念に動きをつけた記憶があります。松浦さんが、かなり気を使ってくれていて。倒されてたたかれたりする前に、私がどう動いても見えないように、ちゃんと下半身に布団を掛けてくれるんです。また殴っているシーンは、松浦さんが見せるアクションをやってくださっている。結構、殴っているように見えますけど、そんなに痛くないですし。布団の方を殴っているので、私は殴られていないんです。かなり計算されて、やっている。すごいなと思います。松浦さんが、本当に自然体で演じる時も普段に現場にいる時も同じ感じで、私はそこにもすごく救われました。何をやっても多分、受け入れてくれるなという安心感がありました。2人でじゃれあっている延長線上のまま本番みたいな感じだった。松浦さんが、私以上にはっちゃけてくださるので…松浦さんじゃなかったら私は出来なかった。
初の映像作品となった映画で、裸で演じた経験があったから動じなかった。
和田 1番最初にやった映画が、ほとんど裸みたいな脚本だったんですよ。ほぼ初めて映像に出る、ちゃんとせりふを言う映像の芝居も初めてだった。あぁ、書かれている以上は、やるしかないなと。2009年(平21)に日本映画学校の卒業制作として上映された「溺溺」です。10年に映画祭TAMA CINEMA FORUMの(新人発掘部門)TAMA NEW WAVEのコンペティション部門に選ばれ、上映されました。その時、染谷将太さんが「ノラ」でベスト男優賞を取りました。同年の第2回TAMA映画賞では、安藤サクラさんが最優秀新進女優賞を受賞しました。
全裸で殴られるシーンが劇場で上映されることに、女優以前に女性として思うところはあるのだろうか?
和田 本当に物語として成立するのかどうか分からなかったし、そもそも映画として完成するのか分からないまま撮影していたので、こんなことになるとは思わなかった。撮っているのが膨大な量だったし、完成して、物語になっているものが頭の中になかった。どうやって、つなげるんだろうと思っていました。
和田が、そう思うのも無理はない。「岬の兄妹」は片山監督が製作、プロデューサー、編集、脚本を務め、製作費まで自費でまかなった。撮影に1年かけ、完成まで2年を要した。
和田 15年12月末にオーディションがあって、年明けくらいに出演が決まり、撮影が始まったのが翌16年2月でした。ボランティアに参加できたのは2月に入ってからだと思います。そこから撮影が1年間でしたから…。実は兄妹2人が住んでいる部屋の中のシーンは一番、最後の方…17年3月にまとめて撮ったんです。家を撮る場所が、なかなか決まらなかったみたいです。元々、企画段階から1年間、四季を追って撮っていきたいみたいなことを監督が言っていたので。みんなで、ちょっとずつ、ちょっとずつ日にちを合わせて…トータルの撮影日数は20日と言っていましたね。本当にぜいたくな撮影でした。役者目線の立場で言うと、これだけ1つの役と一緒に日々、過ごすというのは初めての体験でした。
自閉症の真理子は笑い、泣き、叫び、感情の赴くままに突き進む。真理子という役を、どのように作ったのだろうか?
和田 片山監督から事前に、自閉症の人を描いたドキュメンタリー映画「ちづる」「彼女の名はサビーヌ」を「参考に見て」と言われ、見ました。その後、知的障害のある方が働いている、近所の作業所に行って、ボランティアを1年間、撮影している間も続けて、行ける時は行きました。
1年間、ボランティアを続けた作業所で、知的障害者とは何かを知り、それを役に落とし込んだ。
和田 接した人たちの、根に持っている明るさに触れられたのが大きかったかも知れないですね。最初は行かなきゃと思いつつ行っていたのが、途中から楽しくなって。私は最初、大変なんだろうなと思いながら結構、身構えて行ったんですが、そんなことはなくて、働いている人は、みんな好き勝手やっているし、作業所の先生に恋しちゃって「今日、トイレで会っちゃった!」とか赤裸々な感じに身近で接して。片山さんからは撮影初日に、しぐさとか歩き方とか、細かい指導があったので、その段階で、このくらいという(外見的な部分)のはザックリ決め、人物像はかなり固めました。そこから中身を作っていくのに、作業所に通ったのが生きました。
撮影が1年間に及ぶ中、当然、他の仕事も入る。松浦はヒゲの長さを7ミリと決めて、ヒゲの伸びを逆算してそるなど作った役の維持にも腐心した。和田は真理子の高いテンションを、どう維持したのだろうか?
和田 私は「菊とギロチン」(瀬々敬久監督)が大きな仕事としてあったんですが(テンションの維持は)意外に出来ちゃったんです。初期の段階…最初の冬編の撮影後くらいに、これを1年間、続けていくのは結構、大変だと自分的にも思ったので、一番フラットな状態でいつでも入ることが出来るよう、自分が真理子という役をやる時に、よりどころにする部分があればいいなと何となく思いました。それは、作業所で接している人たちも、ドキュメンタリーに出ている人もそうなんですけど、一番、自分が何をしたいかという欲求に素直になること。
ドキュメンタリー映画で見たり、作業所で接した人々が、感情を思うがまま、素直に表に出す姿は、指針になると同時に和田自身の生き方にも刺激となった。
和田 私は普段、人の目ばかり気にする方なんですけど…最初に撮った時、三崎口の街中をワーッ、キャーッと叫んだ時、すごく気持ちが良かったんですよね。今、走りたい時に走る、何か食べたい時に食べる、叫びたい時に叫ぶとかした時、楽しかった。作業所の人たちと、リンクするところもあって…いつも自制している部分を外して、一番、何がしたいかを素直に一番前に出したら、どうなるだろうというのを元に行動すれば、真理子をやり続けられるかもしれないと思った時があって…そこから、すごく楽になったんですね。生きていくうちに、大人になればなるほど、いろいろ気にしちゃって、素直に「好きだ」とかも言えないですし…好きって言うの、すごく大変ですし(苦笑い)真理子って、そういうのが何でも出来ちゃっていいな…それを演じられるって、楽しいなって思えて、次、またいつ出来るんだろうって楽しみの方が大きかったです。私は今まで、いろいろな役をやってきた中で一番、やりやすかったんじゃないかと思っています。
俳優陣も、作品とともに走り、寄り添い続けたのが、ドキュメンタリーのように生々しい映像を生んだ。
和田 それ(生々しい映像)は、よく言われますね。あと、やっぱり、ちゃんと最後まできちんとつながっている脚本を、みんなが持っていなかったというのも、良い意味で生きた感じになったのかも知れませんね。最初から終わりまで共通の台本が出来上がってから撮影したわけじゃなく、シーンによっては行動だけが書いてあってアドリブみたいなのもあったので。
行動だけが書いてあるシーンで、最も印象的だったのは、真理子がおじいちゃんを脱がし、下半身も触る売春のシーンだ
和田 おじいちゃんと売春をする部屋のやりとりは、何回かテストして本番を4回くらいはやって、一番良いのを選んでもらいました。実際に、おじいちゃん役の方がいらっしゃった時が一番、緊張しましたね。今、思い出しても緊張します(笑い)一「しわしわ」「ふにゃふにゃだ」とか言いますね…私だったら無理です(笑い)一おじいさんは、やられるまま…。生きてきたものが、そのまましわとなった年輪を重ねられた、おじいさんが本当にいらしたから大きかったです。
次回は、和田が、兄にあっせんされた売春をする中で、心が変化していく真理子を演じる中で考えた女性について語る。