映画「矢沢永吉 RUN&RUN」などのプロデューサーを務めた増田久雄氏(72)が、戦中の日豪ラグビー秘話を小説化した。「栄光へのノーサイド」(河出書房新社)で、構想時に石原プロ社長だった渡哲也(77)が「先代(石原裕次郎)が生きていたら、きっと(映画化を)やりたがった」ともらしたスケールの大きい題材だ。9月のラグビーW杯を前にタイムリーな1冊と言えそうだ。

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主人公のモデルとなったブロウ・イデはオーストラリアに生まれた日系2世で、戦中、ラグビーオーストラリア代表チーム(ワラビーズ)で活躍した。志願して出兵後は日本軍の捕虜となって海上移送中に米潜水艦の攻撃を受け、死亡した。

移送船の沈没時に自らを犠牲にして乗員を救った行為が「ワン・フォー・オール」のラグビー精神にのっとったものとして今でもオーストラリアで語り継がれている。

この題材に着目した増田氏は10年前に映画化を企画。映画製作を通じて関わりのあった石原プロに3年がかりで仕上げた脚本を持ち込んだところ、渡をはじめ、高校時代にラグビー部の主将を務めていた舘ひろし(69)もこの知られざる秘話に感動した。

だが、スケールの大きさは日本映画の予算枠には収まらなかった。その後、米国にも持ち込んだが「アメフトの国」では映画化への道は開けなかった。

一方、当事国のオーストラリアでは「ロッキー・ホラー・ショー」の原案者として知られるジム・シャーマンが協力に名乗りを上げた。増田氏は「英訳シナリオに感動してくれる人は少なくなかった。映画化が難航する中で、それなら小説にしたらという声が出て、シャーマンを始め多くの人が取材協力してくれました。ブロウの実家を案内してくれたり、山ほどの資料を集めてくれました」と振り返る。

史実の断片をつなぎ合わせながら、捕虜収容所での「日豪ラグビー試合」など、感動的なシーンが膨らんだ。日米豪の映画人が協力しただけあって、完成した小説は、まるで映画を見ているような映像的な描写の連続だ。

7年前に脚本に接して以来、関心を持っていた舘は原稿段階から目を通し「一編の映画を見たときのような心につつまれました。ラグビーとは魂のスポーツということを教えてくれる」と感想を寄せた。

「仕事柄、いつもタイミングを考えています。映画なら無理だけど、小説なら日本開催のW杯に間に合わせられると。1年半掛けて書き下ろしたんです」と増田氏は苦笑する。

東京・新宿の紀伊国屋書店本店で開催されている「ラグビーフェア」にもこの作品が並んでいる。【相原斎】

◆増田久雄(ますだ・ひさお)1946年(昭21)10月、東京生まれ。早大在学中に石原裕次郎と出会い、石原プロで映画製作に関わる。フリーとなってからは「凶弾」(82年)「チ・ン・ピ・ラ」(84年)「ラヂオの時間」(93年)など幅広い題材を映画化している。