【異業種で輝く元プロ野球選手】清原和博氏から背番号3を受け継いだ男、元西武ドラフト1位・玉野宏昌さん(41)は現在「ソニー生命保険株式会社」の営業マンとして都内で勤務している。2005年の現役引退から一般企業などを経て18年に現職に転職。転機となったのは身近な存在の死に直面したことだった。

 17年に当時、西武の投手コーチを務めていた森慎二さんが急死。玉野さんより4つ年上だったが、同期入団で兄貴分的な存在だった。豪快に酒を飲み、面倒見のいい先輩。また、いつでも会えると思っていただけに衝撃だった。

「森さんが急死して、初めて身近な人が亡くなることを体験した。自分だっていつ死ぬかわからない。残された家族のことを守るためには…。そういうことも考えて今の仕事を選びました」

 実は玉野さんは、森さんの死より以前から第2の人生を意識していた。一般企業に在籍しながら14年に宅地建物取引士、15年にファイナンシャルプランナーの資格を取得。不動産、金融業にも興味を持ち、水面下で転職活動を行っていた。保険業界も候補だったが、態度を保留していたところに先輩の訃報。ソニー生命の営業担当と面談したところ「その人が森さんという名前だったんです。勝手に運命を感じました」と入社を決断した。

「病死や事故のリスクもあれば、最近よく老後に年金以外の経済負担がいくらかかるとか、人生100年時代の到来とか、長生きのリスクもある」と話す表情はすでにプロ。野球の世界では「プレッシャーに負けて、背番号を(3シーズンで)変えられてつらい思いもした。でもこうして取材してもらえるのは清原さんの背番号のおかげ」と謙遜するが、挫折を乗り越えて今がある。

「お客さまの人生に最後までお付き合いする責任がある」という背中には、背番号ではなく多くの人々の人生を背負っている。

 ☆たまの・ひろまさ 1978年6月1日生まれの41歳。兵庫県神戸市出身。神戸弘陵高から96年、西武にドラフト1位指名を受け入団。FAで巨人に移籍した清原和博氏の背番号3を継承した。00年には大物メジャーリーガーのトニー・フェルナンデス獲得に伴い、背番号を「33」に変更。04年オフに中日に移籍も、出場機会なく戦力外となり引退。プロ通算123試合に出場し打率2割8厘、4本塁打、26打点。右投げ右打ち。現在はソニー生命保険株式会社ライフプランナーセンター第8支社に勤務。既婚、1児の父。