故やしきたかじんさんの遺贈金で制作された「OSAKA・KANSAI あかるフォーラム 2025万博なにすんねん?」が4日、大阪市内で開かれ、生前のたかじんさんとゆかりがあった松井一郎大阪市長(55)がトークイベントに登壇した。

松井氏の盟友でもある橋下徹氏が、大阪市長時代から悲願としてきた「大阪万博」。この日は、25年の大阪・関西万博誘致に成功した記念特別フォーラムとして開催された。

府知事から市長へ鞍替え当選した松井市長は「市長は忙しい。知事は全般のことをしたらええけど、市長はゆりかごから墓場まで、やからね」。子どものころ、70年万博を経験した世代で「あの時は国威発揚、展示型だった。今回は参加型にしたい」とプランの一部を口にした。

この70年万博をめぐっては、フォーラムに参加していたメッセンジャー黒田(49)が「僕が生まれた年」と“参戦”。自身の記憶にはないが、母から聞かされたそうで「貧乏で(母は)行かれへんかったみたいやけど、外国人がウロウロしてるから『戦争まだ終わってない』と思ってたらしい」と、若干のボケを入れ込み話した。

25年万博へ夢がふくらむ中、松井市長は、目標動員を2800万人としていることに「自信はあります」ときっぱり。トークを進行していた旧知の辛坊治郎氏(63)らから「万博のキャッチコピーを」と求められると「僕はずっと『健康博』言うてるんですけどね。そしたら、辛坊さんが『それやったら、年寄りしかけえへん』とか言うから」と愚痴っぽく語った。

笑わせつつも、成功を約束した松井市長だったが「失敗したら僕のせいちゃいますよ。(誘致活動を始めた当時の)橋下市長のせいですよ」と訴えていた。

橋下氏、たかじんさんをまじえて、大阪の夢を語り合ってきた松井市長。たかじんさんは、09年に大阪の活性化を目指し、一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」を設立。初代キャプテンに就き、大阪府、大阪市と協力して、盛り上げようと活動していた。

この日は、たかじんさんの遺言で、同クラブが制定する「たかじんアワード」の第3回授賞式も行われ、ホープ部門の第3回グランプリは、「バブリーダンス」が全国区の注目となった大阪府立登美丘高ダンス部などに決まった。

ホープ賞は、万博への提言を続けるU30の若者グループ「WAKAZO」も受賞。レジェンド部門の第3回グランプリは、大阪府社交飲食業生活衛生同業組合の副理事長で、北新地の「クラブ山名」のオーナーママ、山名和枝さんが選ばれた。