Char、石田長生さんの思い出を語る(1)出会いからBAHO結成前夜まで

 関西を代表するギタリストで、熱烈な阪神ファンとしても知られた故石田長生さんが2015年7月に62歳で死去してから、4年が過ぎた。7月24日に2枚組トリビュートアルバム「SONGS OF Ishiyan」がリリースされ、11月20日には東のChar、西の石田と並び称されたギタリスト、Char(64)との名コンビ「BAHO(バホ)」の5枚組CD-BOX「大馬呆展(おおばほてん)」が発売される。石田さんの足跡に改めて光が当てられている今、ギターと阪神で結ばれた盟友Charが、石田さんの思い出を語った。第1回は、出会いからBAHO結成前夜まで。

  ◇  ◇

 出会いは1970年代前半、フラワー・トラベリン・バンドからソロになった時期の故ジョー山中さんが名古屋市公会堂でライブを行った時、Charや金子マリらのバンド「スモーキー・メディスン」と共に前座を務めた上田正樹のバンドに、石田さんがゲストで入っていた。石田さんはS・メディスンの演奏が終わると「向こうから口を聞いてくれ」たという。

 東西の音楽シーンの交流がまだ少ない時代、大阪側は東京のバンドに「おどろおどろしい、それこそフラワー・トラベリン・バンドだとかに代表されるような、恐ろしい、高円寺辺りの、阿佐ヶ谷辺りのアパートでコウモリ飼ってるような、暗い、髪の毛長くて、全くダンスミュージックとは違うイメージ」を持っていたらしく、「東京でも早くからジャズとかファンクとか取り入れたバンド」だったスモーキー・メディスンに「たぶん石やんたちもビックリしたんじゃないか」とCharは推測する。

 Charたちも石田さんらのスタイルに「オーティス・レディングだとかR&Bとかソウルミュージックに影響されているというウワサ通りのスタイルだったんでビックリ」して、付き合いが始まった。Charは高校を卒業した頃だ。

 「(石田さんは)俺の生徒手帳に電話番号書いて『長生きって描いて“おさむ”って読むねん』。06(大阪の市外局番)がついた最初の人で」

 Charは東京、石田さんは大阪に住んでいたが、元ウエストロード・ブルース・バンドのギタリストで、石田さんとソー・バッド・レビューで同僚だった山岸潤史が大阪から東京に転居しており、「山岸を通じて交流があって、知り合いではずっといた」という関係が続いていた。

 転機は80年代末。石田さんが大阪のライブハウス「バーボンハウス」で3日間ライブを行った際、Charがゲストで呼ばれ、「2人でなんかやろうやって言って、何も決まってないのに適当にアコギで遊んだ」。

 直後の1989年7月22日深夜、JR大阪駅の「構内で終電から始発までの間にやるっていう」NHKの番組企画で、Charに「場所が場所なんでバンドは困る。できれば生ギでやってくんないか」というオファーがあった。出番は30~40分だが、それまでバンドで活動しており「一人で30~40分なんかやったことない」Charは「石やんに頼めばホテル代、電車代かかんないでしょ。アゴ(食事代)だけ出してりゃいい」と思いつき、石田さんに急きょ連絡する。

 「本番が夜中の3時くらいだったと思うんですけど、大阪駅に隣接するホテルの俺の部屋に来て、とにかく30分から40分何か考えようやって。狭い部屋で膝つき合わせて考えて、これだったら共通にできる譜面持ってきたりして、即席で30~40分のメニュー作って出てった」

 「みんな飽きててそろそろ眠くなってる」時間帯にもかかわらず「いわゆるドーンっていうツカミから始まって大ウケ」と、ライブは大成功。「そこで面白いなってお互い。エレキギター、バンドじゃなくて、アコギだけで色んなもの表現していくのは、なんかやって行けそうだなっていう、その駅コンで、男女で言えば同棲を始めたみたいな、つきあい始めたみたいなところかな」-これがBAHOの始まりだった。(続く)

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