【マーティ&KissBee 昭和・平成ソングって素敵じゃん】昭和生まれのアラフォー~アラ還が懐かしむ日本の歌手や楽曲を、平成生まれ世代や外国生まれのミュージシャンはどう聴くのか? ユーチューバーアイドル、KissBeeの谷藤海咲(20)とマーティ・フリードマンが、谷藤が好きなBOOWYについて語ります。マーティが語るロックが日本のモノになる過程とBOOWYの関係は? 曲を聴きながら読んでみてください。

【BOOWY論(3)】

 ――今回はBOOWYが大ブレークする直前のアルバム「JUST A HERO」(1986年)です。1曲目はイントロからカッコいい「DANCING IN THE PLEASURE LAND」です

 マーティ:これ86年? 氷室さんのボーカルは10年、20年後の日本のロックに強い影響を残しましたね。10年ぐらい前まで、このスタイルの歌い方をする人がけっこういました。素晴らしい影響力ですよ。時代を代表するボーカルです。

 ――続いてイントロのドラムが印象的な「ROUGE OF GRAY」です

 マーティ:ドラムの音に時代を感じますね。シンセを発見したばかりのころの音です。

 ――確かに! 谷藤さんはいかがですか

 谷藤:私、このアルバムの曲、あまり聴いたことがなかったです。ということは、これから聴ける曲がまだあるってことですね。

 ――「わがままジュリエット」や吉川晃司がシークレットで参加した「1994―LABEL OF COMPLEX―」も収録されています。後に布袋&吉川で組むバンドを暗示するような曲名ですね

 マーティ:このアルバム、歌も演奏もプロデュースも技術の高さを感じるんですが、ちょっと気になるのが、当時はやっていたデュラン・デュランやヒューマン・リーグみたいな洋楽の音色を使って、あまり東洋的、日本的なメロディーは使ってないじゃん。言い方は良くないけど、当時の洋楽をコピーしたイメージです。

 ――ん~、当時の日本は英米の音楽をいかに取り入れるかという部分がまだあったと思います。実際この1曲目は、英国のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「プレジャードーム」(84年発表)とタイトルの一部も曲中の「ウッ、ハッ」という掛け声もかぶっています

 マーティ:僕は外人だから、外人が聴くと、音もメロディーセンスもアレンジも新鮮なものや驚くものがなく、アメリカやイギリスで聴ける曲を日本語で歌ってるように聞こえるんですよ。

 ――英米寄りで日本らしさが見られないと

 マーティ:日本の音楽が、海外のマネじゃなく、「これ新しい! これぞ日本じゃん!」になったのは、つんく♂さん、織田哲郎さん、小室哲哉さんがプロデューサーとして活躍し始めた90年代からです。そしていま、ヒャダインさんや中田ヤスタカさんたちによって、さらに新しい日本らしさを手にしてるじゃん。すごくいい進化をしてます。個人的には邦楽は90年代以降の方が好きです。

 ――日本のロックは長く洋楽の影響下にありました

 マーティ:もともと50年代からアメリカのヒット曲が日本語バージョンとして入ってきたじゃん。ポール・アンカやコニー・フランシスの曲。日本には民謡や演歌があったけど、ロックも楽しみたかった。だけど言葉がわからないと楽しめないから、洋楽に日本語を乗せた。それが日本のロックのはじめです。それから時間がかかって、90年代に日本のモノになりました。

 ――日本のモノになる分岐点が、BOOWYだと思います。というのは、80年代までの日本のバンドって、海外アーティストへの憧れを口にする人が多かったんです。それがBOOWY以降変わって、日本人が日本のバンドを目標にするのが当たり前になりました。BOOWYは日本が洋楽の影響下から抜け出すきっかけになったと思います

 マーティ:そう、その通りです。日本のバンドを手本にするようになってオリジナルなものが生まれ、“借り物”だったロックが日本のものになっていったんです。BOOWYがその後の音楽に与えた影響は大きいと思います。

☆マーティ・フリードマン=米・ワシントンDC出身のギタリスト。1990年から2000年までメガデスに在籍。04年から拠点を日本に移し幅広いジャンルで活躍。

☆たにふじ・みさき=1999年9月22日生まれ。東京都出身。2015年8月からアイドルグループKissBeeの正規メンバーに。KissBeeは14年結成。現在はユーチューブチャンネル「URA―KiSS」を軸にユーチューバーとしても活躍。「Yahoo!検索大賞2018」で「アイドル篇 ネクストブレイクアイドル」受賞。