昨年の大みそかに発覚したカルロス・ゴーン元日産自動車会長の日本脱出劇には、驚いたというよりもやっぱりという思いだった。

 レバノンで会見を開いたゴーン被告は「日本で死ぬことになるのか脱出するかを決めるのは簡単だった」と話していた。脱出の決意を後押ししたのは、皮肉にもゴーン被告に救いの手を差し伸べていた応援団ともいえる周囲の関係者だったともいえる。

 先日、元東京地検特捜部検事の郷原信郎弁護士が今年4月の出版を目指し、ゴーン被告に5回にわたって、昨年11~12月にかけて、インタビュー取材していたことを明かした。検察解体を訴える郷原氏はゴーン被告の逮捕時から捜査は無理筋とゴーン擁護の論陣を張り、特捜部を批判していた。ゴーン被告が心を許したのもうなずけるところだ。

 その郷原氏から見ても金融商品取引法違反容疑では無罪を取れる見込みはあるものの特別背任の容疑は証拠不十分での泥仕合を予想。「公判は異常に長期化する」と最高裁決着まで、10年以上に及ぶ見解を示した。それを聞いたゴーン被告が天を仰いだのは想像に難くない。

 また弁護人を務めた弘中惇一郎弁護士は“無罪請負人”の異名を取るが、100戦100勝なワケではない。特捜事案だった堀江貴文元ライブドア社長の裁判では敗訴し、実刑となっている。ゴーン被告はその堀江氏と1月に面会する予定だったともいうが、特捜部を打ち負かした例ならまだしも敗者の助言で勇気100倍とはならなかったハズだ。

 ゴーン被告が逮捕されてから、保釈後の住宅を提供するなど協力的だったのはかつて民主党の国会議員だったA氏だった。ゴーン氏をサポートする最中、A氏は復活を期して、昨年の参院選に国民民主党から出馬した。

「日本政府の関与があった」と訴えるゴーン被告には政界ラインから反撃の糸口につながると期待したかもしれないが、無残にもA氏は落選。その望みもついえた。

「特捜事案では99%超有罪」のデータを前に1%でも逆転の目があればゴーン被告も奮い立ったかもしれないが、10年以上に及ぶ法廷闘争に加え、実刑ともなれば、65歳のゴーン被告は体力的にも精神的にも耐えられる状況ではなかったのは明白。15億円の保釈金などどうでもよく、超法規的な手段を用いても、国外逃亡を図るのは時間の問題で本紙でも報じていた。あとはその方法だけに注目していた。

 かつての金大中事件のように謎の工作員がゴーン被告の身をかっさらうか、許永中氏のように旅先の地で、こつぜんと消えるのではないかと踏んでいたが、よもや楽器箱に入っての脱出という古典的手法とは…。この点だけは想定外だった。

(文化部デスク・小林宏隆)