大手芸能事務所「ホリプロ」の創業者でファウンダー最高顧問の堀威夫さん(87)が退任した。1960年に「堀プロダクション」を設立し、これまで和田アキ子、石川さゆり、森昌子さん、山口百恵さんら数々のスターを発掘、育成してきたけれど、ミュージカルにいち早く注目した人でもあった。

アイドルだった榊原郁恵を主役にしたミュージカル「ピーター・パン」を初演したのは81年で、和田がブロードウェーでたまたま観劇して、堀さんに勧めたのがきっかけだった。上演された劇場は、新宿・歌舞伎町にあった新宿コマ劇場。歌手公演が多かった劇場で、子供をターゲットにしたミュージカルがヒットするか半信半疑だったけれど、日本で初めてのフライングが話題を呼んで、再演を重ねる人気作品になった。その後、ホリプロ制作として40年も続いている。

「ピーター・パン」の成功に続いて、85年ごろに堀さんが企画したのが剣豪宮本武蔵を主人公にしたミュージカルだった。当時の米国では、吉川英治作「宮本武蔵」や、武蔵が書いたとされる兵法指南書「五輪書」がベストセラーとなるほど人気があり、武蔵を主人公に、井上ひさしさんが脚本を書き、ミュージカル「ドリームガールズ」で知られる作曲家ヘンリー・クリーガーが音楽を手がけ、ブロードウェーで上演するという夢のような構想だった。しかも、井上さんは全員女性キャストで上演するつもりだった。

堀さんも井上さんもニューヨークに乗り込んで準備に入ったが、結局、実現せずに終わった。準備はしたけれど、実現しなかったという企画は数限りなくあり、そのほとんどがお蔵入りするものだけれど、堀さんと井上さんの夢は、20年後にミュージカルではなかったが、現実のものとなる。井上さんは堀さんに電話をかけ、執筆を申し出た。「書きあげないと、死んでも死にきれない。見守ってくださった堀さんに申し訳ない」という思いからだった。2人の信頼関係によって、井上さん作、蜷川幸雄さん演出の「ムサシ」が生まれた。報復の連鎖のむなしさをテーマにした舞台で、09年に藤原竜也主演で初演された。井上さんが亡くなった10年にはロンドン、そして、ニューヨークで上演され、絶賛された。

堀さんの姿は劇場でよく見かけた。ホリプロ制作の舞台はもちろん、所属する俳優が出演する舞台にもよく観劇に訪れていた。堀さんが40年前にまいた小さな種は大きな実を結び、ホリプロは、東宝、松竹、劇団四季、宝塚歌劇団などと並んで、日本の演劇界を支える大きな柱となっている。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)