【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(8)】パラアーチェリー女子の岡崎愛子(34=ベリサーブ)は、多くの死傷者を出したJR福知山線脱線事故による大ケガで、車いす生活を強いられながらも今を全力で生きている。幾多の壁を乗り越えてきた不屈の女性が、パラスポーツを通じて伝えたい思いとは――。 (随時掲載)

 大学2年生になったばかりの2005年4月25日。電車で通学していた岡崎の身に悲劇が襲った。「カーブの遠心力で右側の車体がフワッと浮いた」と思った瞬間、反対側に吹き飛ばされ、脊髄を損傷。肺挫傷による肺炎で呼吸困難にも陥った。入院生活は負傷者で最長となる377日に及んだ。

 それでも退院後は復学し「何とか(お金を)稼いで生きていかないといけない」と就職活動に励んだ。「あかんかったら戻ってきたらいいかなと。そのタイミングでしか大阪を出るタイミングはないし、一人暮らしをする機会もないと思った」と、大手電機メーカーのソニーへ入社。上京の道を選んだ。

 仕事に励む日々を送る中で、アーチェリーに出会ったのは13年ごろだった。「なんかスポーツをやりたいな」と思っていた矢先、母親に勧められたのがきっかけだ。当初は趣味程度だったものの「W1(四肢の障がいで車いすを使用するクラス)の女子選手は日本に少なくて、狙い目だから頑張ってみたら」と周囲の後押しもあって、16年から本格的に取り組むようになった。

 17年には競技用の弓を取り入れるなど様々な道具の使い方を確立した。さらにリハビリの一環で行っていた上半身と下半身のトレーニングも、上半身と体幹の強化を中心とした形に見直し、点数が急上昇。強化指定選手に選ばれ「パラリンピック出場がようやく現実化してきた」と手応えをつかんだ。

 19年世界選手権のミックス戦(W1)では3位に入り、東京大会代表に内定。しかし「下手な試合は見せられないので、自分のレベルを上げていかないといけない」と満足はしていない。

 事故で生死の境をさまよったからこそ「好きなこととかやりたいことはどんどん積極的にやって突き詰める」との気持ちで道を切り開いてきた。今後も意志を貫く大切さを発信するために、延期となった1年間で己の技術を磨き続ける。

☆おかざき・あいこ=1986年1月10日生まれ。大阪府出身。幼少期から活発で、中学時代はソフトボール部に所属。高校から始めたフリスビードッグは、事故後も精力的に取り組んできた。2016年からは本格的にアーチェリーへ挑戦することを決意。昨年の世界選手権ではミックス戦(W1)で3位に入り、東京大会の切符をつかんだ。尊敬するアスリートは大リーグ・マリナーズなどで活躍したイチロー氏。野球に対するストイックな姿勢を参考にしているという。