【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(10)】令和のピンクレディーに名乗り出る! パラ射撃・エアライフル男女混合10メートル伏射(上肢障がいSH2)の水田光夏(22=白寿生科学研究所)は、なぜ競技歴わずか4年で東京パラリンピックへの切符を手にできたのか。その裏に隠されていたある転機とは――。
 (随時掲載)

 3歳から踊り始め、バレエに熱中していた中学2年の春。「ノートとかを書いているときにシャーペンを落とすようになった」と日に日に体が動かなくなっていった。四肢の筋力や感覚が低下する難病「シャルコー・マリー・トゥース病」を発症。症状は悪化するばかりで、秋には車いす生活を強いられた。

 それでも、ギリギリまで舞台に立った。踊れなくなっても、部活でミュージカルの運営に携わるなど、精力的に活動を続けた。しかし、高校2年になり、同級生たちが引退。水田も「進路どうしよう」と頭を悩ませていた。

 そんな時に出会ったのがパラ射撃だ。18歳で免許を取得後、現在のコーチに直談判。「手に入れた銃だけを持って会いに行って『所持できました、お願いします』と」。そこから銃の使い方やルールなどを一から教わった。すると、2017年の全日本選手権で2位。18年の同大会では3位に食い込み、大舞台が視界に入ってきた。

 ところが、昨年2月のW杯では点数がなかなか伸びず、自己ワーストの623点台に沈んだ。

「(2週間後の国内選考会で)強化指定選手に選ばれるために必要な点数が最低628点なのに、あと2週間でどうしようってなった。来年の強化指定選手に入れないとパラも見えてこない。そこで初めてやばいと思って、もっと練習しなきゃと思った」

 帰国後すぐに練習の質を見直し、2週間後には見事高得点をマーク。練習の頻度も上げ、技術を磨き続けた結果、昨年10月の世界選手権で基準を満たし、東京大会の出場権を獲得した。「ちょっとホッとした」と安堵する一方で「結果には納得はしていない」と浮かれる様子は見られない。

 来夏に一番星の光を放つために。「自己ベストを更新したい」と意気込むハンターが職人技で世界中をとりこにする。

☆みずた・みか=1997年8月27日生まれ。東京都出身。幼少期からダンス、ピアノ、スキーに親しみ、学校でもリーダー格として活躍していた。18歳でパラ射撃を始めると、昨年の世界選手権で東京大会の切符を獲得。ピンクが大好きで、競技用の車いすやライフルケースなどは、ピンクを基調としたデザインで統一。発音の都合上、海外では「ピンクベビー」の愛称で親しまれているが、当初は「ピンクレディー」と呼ばれていた。