ファッションデザイナー、イベントプロデューサーとして知られる山本寛斎さん(享年76)が急性骨髄性白血病で逝去していた。

BOØWY、ZIGGY、リンドバーグなどのヒットメーカーで知られる音楽プロデューサーの月光恵亮氏は本紙にこう語る。

「世界の山本寛斎さんが何故か自転車で原宿を物凄い速さで走っているのを、僕が20代のころ、何度もお見受けしました。目が合うと『よっ!』って声をかけてくださる気さくな素敵な方でした」

 そして、BOØWYの命名秘話を明かした。このBOØWYの命名由来はこれまで定説がなかったが、当事者の月光氏自らが話してくれたのだ。

「バンド結成時、僕の恩師である長戸大幸さんが名前の原案を当時イギリスの『ガール』というバンド名をヒントに『ボーイ』と名付けました。すでに『BOY LONDON』というファッションブランドも存在していたのと、デザイン的にももう少し一捻りした名前にしなければ合わないと悩んでいる時に、ふとBOØWY誕生のはるか8年前に山本寛斎さんがデザインしたデビッド・ボウイの衣装の鮮烈な文字の配列を思い出したのです」

 山本さんは1973年、デビッド・ボウイのステージ衣装を担当した際、漢字で「出火吐暴威」と表記していたのだ。

 月光氏は「『出火吐暴威』から『暴威』を抜き出し、さらにDavid Bowieの『Bowie』のスペルを変化させて『BOWY』まで到達したもののアイキャッチ的にバランスが悪い。そこで発音しない装飾文字として『Ø』を真ん中に入れて『BOØWY』としました。後にこの『Ø』に意味を持たせたのはバンドとそのマネジャーです」と秘話を明かした。

 最後に山本さんが音楽界に与えた影響について、「2016年のグラミー賞のデビッド・ボウイ追悼ライブでレディー・ガガが来た衣装は、山本寛斎さんがデビッド・ボウイ用にデザインした『出火吐暴威』と全く同じものです。それほどまでに山本寛斎さんは、鮮烈に色んな世界中のアーティストに影響を与え、愛された偉人であることは言うまでもない事実です。本当に残念です。そして心よりお悔やみとご冥福をお祈り致します」と語った。