【この人の哲学:芹澤廣明(作曲家)】中森明菜、チェッカーズ、さらには「タッチ」や「キン肉マン」「機動戦士ガンダムΖΖ」の主題歌など数多くのヒット曲を生み出し、最近は米国デビューも果たした作曲家、芹澤廣明氏(72)。人気絶頂だったチェッカーズへの曲提供をやめた理由を告白。さらに50歳から英語を学び始めた理由とは?

 ――チェッカーズへのシングル曲提供は「Song for U.S.A.」(1986年)が最後になりました。自ら降りたんですか

 芹澤氏 十何曲書いて、ネタが尽きちゃったんだな。もうこれ以上作れないと思ったんです。ひとつのアーティストにそんなに書けないよ。僕が本来やりたい音楽とも違ったわけだしね。

 ――以後のチェッカーズはオリジナル曲路線になりましたから、てっきりメンバーが「自分たちで作る」と言い出したのかと

 芹澤氏 違う違う。こっちがくたびれちゃったんです。出すとだいたい50万枚以上売れて、次もヒットを期待されるでしょ。プロの作曲家って、レコード会社と制作会社とファンの間に入って、みんなの思いの最大公約数みたいな曲を書き、さらに結果も出さなきゃいけないんです。ストレスがたまるし、体の調子も良くなくて、腰が痛い、背中が痛い、頭が痛いって状態でした。

 ――ヒット曲を連発した裏で満身創痍だったのですね

 芹澤氏 そろそろ潮時だと思っていた時に「Song for――」ができてね。いい曲ができたなと思ってたら、東宝配給で映画にするっていうから、それなら最後の曲にふさわしいと、これで降りることにしたんです。

 ――キッパリ決断できるものですか

 芹澤氏 正直、このままじゃ長生きできないな、と思い始めてたんですよ。チェッカーズ以外にも曲を提供していたから、一番忙しい時は毎日5曲とか10曲とか書いてました。作った曲が似ちゃうといけないから、その日の終わりに譜面を並べてチェックしてました。

 ――並行してそんなに書けるものですか!?

 芹澤氏 書けます。僕は考えなくても頭の中でメロディーが流れてくるんです。いまだにメロディーで考え込むことはないです。

 ――提供するアーティストごとに曲の特徴も変わるでしょうし、難しそうです

 芹澤氏 CM曲を作ってた時に、商品のイメージを元に曲を書くということをさんざんやってきて、その対象のイメージで書くクセがついたんです。CM曲ってすごく厳しくて、クライアントと広告代理店が来て、そこで一発で気に入られないとボツになるんです。そういうところでずっとやってましたから。

 ――とはいえ、さすがに毎日5曲10曲は大変だったのでは

 芹澤氏 そう、途中からくたびれてきました。書いても書いても税金でたくさん取られるし、おもしろくなくなっちゃって(笑い)。作曲を始めたころは「少女A」で印税がいっぱい入って「良かった~」と思ったけど、「キン肉マン」の主題歌、チェッカーズと売れていくと、お金はいっぱい入ってくるけど、ほとんど税金として出ていくんです。税金を払うのは当たり前ですよ。ただ当時、最高で87%が税金で取られたから、こんなに一生懸命書いててもしょうがないなと。体もつらいし。

 ――今でこそ所得税+住民税の最高税率は55%になりましたが、昭和の税率はエグかったんですね。「Song for――」の後はどのように

 芹澤氏 曲はマイペースで書きながら、母と祖母の面倒を見ていました。2人を見送って、「そろそろアメリカでやりたい」と模索し始めるんですね。50歳になって時間と経済的な余裕ができたんで、ちゃんとやってこなかった英語の勉強を始めました。言葉が通じないと誰にも会えないから。

 ――50歳から!

 芹澤氏 10代からの夢、アメリカで歌を出すことを実現するためには、そこから頑張らないといけないですから。

 ☆せりざわ・ひろあき 1948年1月3日生まれ。神奈川県横浜市出身。歌手、ギタリスト、作曲家、音楽プロデューサー。高校在学中から米軍キャンプで演奏し、67年にGSグループ「ザ・バロン」を結成して69年にデビュー。解散後に若子内悦郎と「ワカとヒロ」を結成。その後、作曲家として中森明菜「少女A」(82年)、チェッカーズ「涙のリクエスト」(84年)、岩崎良美「タッチ」(85年)ほか多数のヒット曲を生み出した。2018年に自ら作曲した「Light It Up!」を歌い全米デビュー。今年5月には芹澤氏作曲、売野雅勇氏が英語詞を担当した全米3枚目のシングル「Julia」が発売された。