【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】10月19日という日付は近鉄に縁がある。1988年10月19日に近鉄はダブルヘッダーの末に悲劇のV逸。それから32年後の2020年には元エースの巨人・岩隈久志投手(39)が引退を表明した。

 加えて、同じ夜に近鉄出身唯一の現役野手のヤクルト・坂口智隆外野手(36)が阪神戦(甲子園)で1500安打を達成した。偶然ではあるが近鉄バファローズの存在を思い出した野球ファンは少なくないはずだ。

 私は近鉄最後のシーズンとなった04年に球団担当を経験。前年に15勝を挙げた岩隈は、5年目にして主力投手に成長していた。

「(堀越高の)卒業式で(同級生のタレント)安達祐実から『岩隈くんプロ野球選手になるんだ』と声を掛けられましたね。緊張しました」などという裏話も興味深かったが、注目したのは利き腕だった。

 シーズンイン直前の激励会で取材した時だ。印象的だったのは、ファンへのサインを左手でスラスラ書いていたことだ。

 もしや、投球する右手を酷使することを避けて左手でペンを走らせているのか。そう質問したところ「まさか。そんなことないですよ。僕はもともと左利きで、投げること以外はほぼ左。右投げ左書き、左食いです」との答えが返ってきた。

 大阪ドームでの近鉄最後の試合となった04年9月24日の西武戦後には、クールな表情を珍しく崩した。「自分はまだ5年しかこのチームにいない。それなのに、自分のチームがなくなるってこんな気持ちなんだなと…。寂しいです」。近鉄への愛着を示した涙も印象的だった。
 当時はまだ2年目だった坂口も、近鉄には愛着を持っている。「歴代の先輩たちに比べ、在籍期間は短いかもしれない。でも、僕にとって近鉄バファローズは入り口。ドラフトで指名してくれたからこの世界に今もいる。プロ野球選手になれたのは近鉄バファローズのおかげ」と感謝の気持ちを忘れていない。
 近鉄ファンの心に残る日付に、希少となったOB2選手が節目を迎えた。不思議な縁は必然だったのか。岩隈の引退で近鉄出身の現役選手はヤクルト・近藤一樹投手(37)と坂口のみ。猛牛魂よ永遠なれ。

 ☆ようじ・ひでき 1973年8月6日生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、阪神などプロ野球担当記者として活躍。2013年10月独立。プロ野球だけではなくスポーツ全般、格闘技、芸能とジャンルにとらわれぬフィールドに人脈を持つ。