〝あの日のマウンド〟は自ら獲得に動いた責任と、そして岩隈に〝ケジメ〟を求めた最初で最後の場だったのだろう。23日に現役引退会見を開いた巨人・岩隈久志投手(39)にねぎらいのスピーチをした原辰徳監督(62)の言葉には、そんな思いがにじみ出ていた。

「まあ、今だから言えるんですが…」と前置きし原監督が明かした、岩隈引退までの経緯は、ある意味〝ドラマチック〟ともいえるものだった。

「私が結構しつこい人間で、どうしても今年、後半、あるいは〝その後〟、彼を戦いの輪に入れたいということで…8月くらいだったでしょうかね、日にちを指定してですね、東京ドームのマウンドでシートバッティング。いいバッターを揃えると、来てくれと、いうことで彼もそれに対して洋々と『わかった』と。じゃあその日に。そしてその日を迎えました」

 指揮官は「あえて」スタンドから岩隈の投球を見守ったそうだが、「ただ、私の知りうる岩隈投手の姿というのはそこには見えなかった」。全力で投げたという1球目は、無情にも大きく外れ打者の肩口へ。そして岩隈は右肩を押さえその場にひざまずいた。投球と同時に脱臼したのだという。原監督はこの結果を踏まえたうえで「落ち着いたらもう一度話そう」と提案。しかし、岩隈の中ではこの脱臼が「今年ダメなら…」の思いに〝ダメを押した〟格好となった。

 そして10月。改めて設けられた原監督との意思確認の席で、岩隈は引退を決断したことを報告した。ここでのやり取りについて指揮官は「素晴らしい野球人生であったと。もう燦然と輝く、レジェンドであると、胸を張って、胸を張ってユニホームを脱ぎ、そしてこれから先の人生の方がはるかに長いわけですから、野球人としてそして社会人として生きていこうと」と語ったが、一方でこうも口にしていた。

「まあ、来年度、彼がもし野球をやりたいと、まだやりたいというんであれば、私は相当悩んだ」

 原監督の「悩み」。それは、このまま現役続行を宣言した場合の処遇の難しさに他ならない。当時、岩隈を調査しラブコールを送ったのは、編成権をも握る原監督だった。しかし今オフ、大幅な血の入れ替えを断行する球団にあって、回復の見込みが立たない39歳のレジェンド右腕を残すことは大きな矛盾をはらむことになる。

〝あの日のマウンド〟は、ギリギリまで復調を待った原監督が用意した事実上のラストチャンスであり、指揮官自身にとってもケジメの場であった。