【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」(8=後編)】ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がホスト役を務める「龍魂激論」に全日本プロレス、ノアで活躍した“鉄人”小橋建太(53)を迎えたスペシャル対談。30年前の「天龍金属バット襲撃事件」の真相が明かされた前編に続き、後編ではお互いが得意とするチョップをめぐる“殺人未遂事件”、さらには2人が記録更新を生きがいとした東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」への思いを語り合った。

――初めて後楽園ホールのメインで対戦したのは1989年7月15日だ

 小橋 天龍さんとスタン・ハンセン、僕と(ジャンボ)鶴田さん。若造1人が3冠を争っている大選手の中にポツンと入れられ…緊張しました。

 天龍 とにかく真面目だし、真っすぐで勢いがあって、はっきり言って目障りだったね。俺とスタンとジャンボの争いに入ってきやがってという気持ちだった。

 小橋 天龍さんに「何だこの若造は」という目で見られて。相手にされないから死ぬ気で顔面を張ったらボコーンと倍返しされた。最後はパワーボムで3カウント奪われた後、背中を蹴飛ばされた。でもあの試合はその後の励みになりました。

 天龍 やりがいがあった試合だったね。小橋君はその年の3月に(ジャイアント)馬場さんに抜てきされてアジアタッグに挑戦したじゃない。ここで勢いをつかせたら俺たちの立場がなくなると思ったんだよね。

 小橋 でも僕は決して優遇されてはいなかった。入門した年(87年)の11月から馬場さんの付け人を任されたんですけど、翌年2月(26日)にデビューするまで、ひと言も口をきいてもらえなかったんですよ。とてもつらい4か月でした。デビュー戦を終えて「デビューさせていただきました!」と報告したら、初めてホテルのレストランで食事に誘ってもらえたんです。あれは涙が出そうになった。

 天龍 それはつらかっただろうけど、試していたんだよ。本当にダメなら「帰れ!」って言われてるはずだから。

 ――その後、天龍さんと同じように逆水平チョップを得意技とした

 小橋 忘れられない記憶があるんです。デビュー前に会場で僕と菊地(毅)さんが立っていたら「おーい、お前らこっち来い!」と呼ばれて。天龍さんが両手でいきなり菊地さんの頸動脈をグイッと挟んだんです。そしたら菊地さん、目をひんむいて失神しちゃって。「あっ、次は俺だ」と覚悟してたら天龍さんは「ハッハッハ」と高笑いして去っていきました。

 天龍 それは災難だったね。(ザ・グレート)カブキさんが「頸動脈を挟めば相手は必ず失神する」って言うから試したんだ。逆水平から頸動脈チョップへの攻撃はあれが原点だな。

 ――2005年9月18日のノア日本武道館大会で再会し、壮絶なチョップ合戦を展開した

 天龍 血脈に爪が入って血が出たんだ。あんなのは最初で最後だよ。俺に相当な憎しみがあったんだろうな。

 小橋 違いますよ。天龍さんがやっていたプロレスは、僕らがやっていた四天王プロレスの原点でもあった。どんなにボコボコにやられても立ち向かっていく。それを15年ぶりに証明したかったんです。

 ――お2人は「プロレス大賞」でもベストバウト獲得数で争った

 小橋 僕の引退試合(13年5月11日)に来てくれたので、翌日お礼の電話をしたら「お疲れさん。ところでお前、ベストバウト狙ってるだろう」って(笑い)。

 天龍 俺が史上最多の9回、小橋君が8回か。引退試合(15年11月15日)で抜いて、俺が最後に勝ったからね。

 小橋 抜かれた日は眠れませんでしたよ。だけどノア旗揚げの年、選考会が終わった後に有明コロシアムでやった俺と(秋山)準の試合(2000年12月23日)はノミネートされてもおかしくないと今でも思うので、それを考えるとタイじゃないかなと。

 天龍 このヤロー、まだあきらめていないのか…。

 小橋 天龍さんとの戦いは永遠に続くんですよ。そういう関係でありたい。プロレス大賞は僕らにとって最高の賞ですから。

 天龍 そんなこと言うなら俺も絶対に負けない。文化勲章もらってハナ差で勝ってやる。それと小橋君、7月に「開運! なんでも鑑定団」(テレビ東京系)に出たじゃない。

 小橋 前田青邨の掛け軸が1000円の鑑定でした(本人評価額100万円)。数日後に天龍さんから電話があって「番組見たよ。ところでジムや体は大丈夫?」って。

 天龍 俺も3回出演を断っているけど、今度は出て、絶対1001円以上で勝ってやるよ。

 ――ここまで大人げない対談は初めてです…

 小橋 でも楽しかったですよ。来年には何か数字や記録が変わってるかもしれないのでまたお会いしたいです。 
 天龍 今後は健康診断の結果で勝負だ。小橋君はがんまで克服しているから、もっと声高に主張して人々を勇気づけてほしいね。本日はありがとうございました。