「ラヴソング」(96年)などで知られるピーター・チャン監督の新作「最愛の子」(16日公開)は、現代中国の市民社会を映し出して興味深い。ニュースや情報番組では断片しか垣間見えない人々の暮らしぶりが実感として伝わってくる。

 中国では年間20万人もの子どもが行方不明になっているという。映画は、08年3月に誘拐された男の子が、3年後に両親の元に戻ってきた実際の事件を題材にしている。遠因には中国固有の「1人っ子政策」があり、この事件のドキュメンタリーを見たチャン監督はすぐに映画化を思い立ったそうだ。

 中年男ティエン(ホアン・ボー)は大都会・深センの下町でネットカフェを経営している。軒先には電信柱が傾くほどの大量の電線がぶら下がり、急速な通信の普及にインフラ整備が追いつかない様子を映し出す。自分の店に引き込んだ電線に名札のようなものを下げたり、手作業でつなぎ直したりもする。

 3歳の1人息子ポンポンは元妻ジュアン(ハオ・レイ)との間を行ったり来たりしている。週末を元妻と過ごしたポンポンが帰ってきた日、目を離した隙にその最愛の子が姿を消してしまう。半狂乱で街中を探し回るティエン、ジュアンも元夫をなじりながら合流する。

 子どもへの愛情、こだわりに国の違いはないが、2人の異常なまでの騒ぎぶりが「1人っ子」の貴重さと誘拐が横行する社会を浮き彫りにする。

 事件から3年。仕事に手に付かなくなったティエンは大家に店を追い出され、屋台を引いて生計を立てている。ジュアンもポンポンを思う余り、裕福な再婚相手との仲がおかしくなっている。

 ティエンは「子どもを誘拐された親の会」のようなものに入っていて、グループ・セラピーで何とか心の安定を保っている。数ある誘拐事件の容疑者が逮捕されると、各地の警察からこの会に連絡が入り、メンバーはバスを仕立てて警察署を訪れる。

 個々に自分の子どもの写真を掲げ、容疑者に覚えがないかをただすのだ。一見「観光ツアー」のような集団。容疑者との珍問答が悲しい。

 なけなしの私財を売って懸賞金を掛けたティエンのもとには真偽の定かでない情報が寄せられ、ついにポンポンの行方が判明する。深センから遠く離れた安徽省の寒村だった。

 子ども欲しさの一心で誘拐を働いた出稼ぎの夫は病死。6歳になったポンポンは妻のホンチン(ヴィッキー・チャオ)に貧しくも大切に育てられていた。

 駆けつけたティエンとジュアンを「怖いおじさんたち」というポンポンはひたすら「母」ホンチンを恋しがる。子どもは見つかっても、決して取り戻せない「年月」がある。1人号泣するティエンの姿が再び悲しい。チャン監督はリアルな日常描写の中で、登場人物それぞれの思いを巧みに浮かび上がらせる。

 一方、誘拐犯の妻ホンチンも途方に暮れている。ポンポンの「妹」として育てていた捨て子のジーファンまでも施設に収容されてしまったのだ。後半はこのホンチンが主役で、「誘拐社会」が複合的に生み出す悲劇が映し出される。

 ジョアンの再婚相手が、裕福な都市生活者の象徴なら、ティエンは都会の庶民、さらにホンチンは寒村の貧しさを映す。ジーファンを取り戻そうとホンチンが大都会、深センにやってくると、経済改革がもたらしたそんな格差社会の三層がくっきりと見えてくる。

 ホンチンを助ける駆け出し弁護士が弁護料を辞退したり、ティエンのポンポン探しの行く先々にはお礼を断る善意の人たちがいる。「お金には代えられないもの」がこの映画の底流に流れるテーマだ。爆買い、列への割り込み…近年のそんなイメージとは対極だ。

 「子ども」という買えないものを題材にすることで、チャン監督は「拝金主義」の向こう側にある温かさを描きたかったのだろう。【相原斎】