73歳で死去したフランスの名将ジェラール・ウリエ氏は日本代表監督候補にも挙がっていた。

 同国サッカー連盟が14日にウリエ氏の死去を発表し、サッカー界には悲しみが広がった。ウリエ氏は同国代表監督を率いたほか、1998~2004年に指揮したイングランド・プレミアリーグの名門リバプールでは01年に欧州連盟杯(現欧州リーグ)などカップ戦の3冠に導いた世界的な名将だった。

 日本サッカー協会の田嶋幸三会長(63)は訃報に際し、協会を通じてコメントを発表した。

「ジェラール・ウリエさんご逝去の報に接し、日本サッカー協会を代表して謹んでお悔やみ申し上げます。突然のことで非常にショックを受けています。ウリエさんはフランス代表の監督として、ユース年代の監督として、フランスサッカー協会の技術委員長として活躍され、ティエリ・アンリをはじめとする素晴らしい選手を育てるなど、フランスのワールドカップ優勝にも大きく貢献された方でした。フランス国内のクラブだけでなく、リバプールでも数多くのタイトルを獲得された世界的な名監督でした」と故人をしのんだ。

 また「来年1月に予定しているフットボールカンファレンスにもご登壇いただく予定でした。日本を愛し、フットボールカンファレンスで何度も来日されて日本の指導者養成に、日本のサッカーの発展に大きな功績を残されました。人間としても素晴らしく尊敬できる方で、日本代表監督の候補者としても何度も名前が挙がっていました」と親日家で日本代表監督候補にも挙がっていた秘話も明かした。