落語家の林家こん平さん(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)が17日午後2時2分に誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。77歳だった。こん平さんの取材歴がある記者が悼んだ。

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いつも周りを明るくする人だった。演芸担当になって、根岸にある初代林家三平さんの自宅を訪れた時、玄関まで聞こえた陽気な笑い声の主がこん平さんだった。寄席や番組のスタッフなど周囲への気配りを欠かさず、誰にも優しい人だった。

そんなこん平さんが見せた涙で、忘れられないのは、三平さんが亡くなった時のこと。こん平さんはハワイで「笑点」の収録があり、成田空港から駆け付けた時は、場違いなアロハシャツ姿だった。喪服に着替える時間も惜しかったのだろう。おかみさんの香葉子さんのひざに顔をうずめて、子供のように号泣する姿に、深い師弟関係を見た気がした。

37歳で三平一門を率いたこん平さんに、「お手並み拝見」という冷ややかな向きが多かった。もともと酒好きだったけれど、プレッシャーで深酒となり、暴れることもあった。しかし、弟子の林家正蔵、林家たい平らが成長し、これから自由に活動ができるという時に、多発性硬化症を患った。言葉が不自由になる難病だが、こん平さんは「復帰」を信じてリハビリに励んだ。

そして、積極的に人前に出ようとした。「そんな姿で出なくてもいいのに」という声もあったけれど、めげなかった。不自由な体だけど、「チャラーン」と叫ぶと、見ていた人は誰もが喜んだ。生涯を、人を笑顔にすることにささげた人だった。【林尚之】