「喝采」「北酒場」の日本レコード大賞受賞曲などを手掛けた作詞作曲家の中村泰士(なかむら・たいじ、本名泰士=たいし)さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため、大阪市内の病院で亡くなった。24日、所属事務所が発表した。81歳。

葬儀・告別式は近親者約10人で密葬として終えた。喪主は長男修士(しゅうじ)氏。来年4月ごろ、大阪市内で追悼ライブを予定している。

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中村泰士さんが亡くなった。先月に肝臓がんを公表したが、ステージにも復帰してパワフルなところを見せていただけに驚きだ。

体調を心配する関係者にも「たかが人生やろ」と笑い飛ばしていたという。Facebookでも、ここ最近は、毎日のように自身の言葉をアップしていただけに、残念でしかたない。

昨年までの3年間、4月に行われる沖縄国際映画祭でご一緒した。80歳になろうとする年齢にもかかわらず、老若男女に囲まれてパワフルに食べ、飲み、語る姿に感激した。レジェンドなのに壁を作らず、店の人や周囲のテーブルからの問い掛けに気軽に応じていた。

まだ、テレビが各家庭に1台が普通だった70年代。中村さんは、次々とスターを生み出していた日本テレビのオーディション番組「スター誕生」の審査員を務めていた。そして、自身も次々とヒット曲を生み出した。若き日の細川たかしや桜田淳子の話も聞かせていただいた。

72年に日本レコード大賞を受賞したちあきなおみの「喝采」について、記者は、若い世代の記者たちにご本人の前でとうとうと説明したことがあった。

「あの年は小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』が大ヒットして日本歌謡大賞を受賞。それを9月に発売された『喝采』が追い上げて…」と。

先生は「よく知ってるな」と記者を褒めてくれた。所属事務所の神田幸代表からも「中村泰士公認語り部」の栄誉をいただいた。

2年前の沖縄では、中村さんと一緒にカラオケをする機会にも恵まれた。

そして「『北酒場』を歌えるか?」と、82年に2回目のレコード大賞を受賞した細川たかしの大ヒット曲をリクエストされた。

「ノー」などと言えるはずもなく、歌手デビューのチャンス? とばかり熱唱したが、聞き終わった先生は複雑な顔をしていた。「練習しなおしてきます」というと「そうだな」と笑っていた。

昨年の沖縄国際映画祭では那覇の「波の上ビーチ」のステージ上で歌を披露した。年齢差を感じさせないダイナミックさで、そしてなによりセクシーでかっこよかった。

今年の沖縄国際映画祭にはコロナ禍で行けなかったので、最後に会ったのは昨年10月に「アンチエイジング大賞」を受賞して、授賞式のために上京した時だった。東京・赤坂の和食屋で豪快に食べ、飲み、笑いながら語り合った。

翌日の授賞式には予定が入っていて行けなかったので、一足先に喜びの声を聞いた。

若さを保つ秘密を「歌うこと。声を大切にするから、お酒もほどほどで切り上げられるようになった。そして、自分を出し切ることだよ。歌でも何でも、全力でやりきれ。そうすれば空っぽになっても、新しいパワーがみなぎってくる」と笑いながら言い切った。

子供の頃から知っている歌謡界のレジェンドと、短い間でも触れ合って教えを受けた感激と喜びは忘れられない。【小谷野俊哉】