なかにし礼、逝去

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作家・作詩家のなかにし礼が、2020年12月23日に心筋梗塞のため逝去した。82歳だった。

1938年、中国黒龍江省牡丹江市に生まれたなかにし礼は、「今日でお別れ」(1967年)、「石狩挽歌」(1975年)、「時には娼婦のように」(1978年)、「北酒場」(1982年)などのヒット曲をはじめ約4,000曲を手掛け、「天使の誘惑」(1968年)ほかで日本レコード大賞を3回、同作詩賞を2回、またゴールデン・アロー賞など数々の賞を受賞した。

その後作家活動を開始し、『長崎ぶらぶら節』(1999年)で第122回直木賞を受賞。満州からの引き揚げ体験を描く『赤い月』(2001年)は100万部に迫るロングセラーとなり映画にもなった。さらに、『てるてる坊主の照子さん』(2002年)は『てるてる家族』としてNHK連続テレビ小説で放送された。

一方、舞台作品の台本・演出も手掛けており、演劇・舞踏・オペラを融合した「世界劇」という新たな上演形式は高い評価を受けている。

近年はサンデー毎日にてエッセイ『夢よりもなお狂おしく』を連載するなど、各方面にて活躍していた。所属事務所と長男・中西康夫氏は下記のコメントを発表している。

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作家・作詩家 なかにし礼(本名=中西禮三)儀、かねて病気療養中のところ、本年12月23日、心筋梗塞のため、満82歳にて永眠いたしました。

ここに生前のご厚誼を深謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます。
なお、葬儀につきましては、故人の遺志により家族葬にて執り行います。
誠に勝手ながら、ご弔問ならびにご弔電、ご香典、ご供花、ご供物の儀は固くご辞退を申し上げます。
「お別れの会」につきましては、後日執り行う予定ではございますが、新型コロナウイルス感染症の感染状況を見極めながら、関係者において検討のうえ詳細が決まりましたら改めてお知らせいたします。

2020年12月25日
株式会社なかにし礼事務所
株式会社 日音

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この度は突然の訃報でお騒がせしております。
やりたい事や伝えたい事がまだまだあったと思うので残念でなりません。
父の作品にはいつも父が伝えたい事が深く書かれていました。
その想いを感じて頂きながらこれからも父の作品と親しんで頂けましたら幸いです。
父は最期まで格好良く色気があっていい男でした。
激動の昭和から現代までを生き抜いてきた人です。
最期は家族だけで静かに見送らせて下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

長男 中西康夫

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また、なかにし礼が手掛けた作品を歌う細川たかし、氷川きよしから、下記のコメントが届いている。

■細川たかし コメント

なかにし礼先生の訃報を聞き、また一人昭和の偉人が亡くなってしまい残念でなりません。長い間闘病されていたと聞いていたので今は天国でゆっくりとお休み下さいと祈るばかりです。
先生とは私のデビュー曲「心のこり」を作詞して頂いたのが最初の出会いでした。“私バカよね おバカさんよね”冒頭の歌詞が余りにインパクトが強く、よくキャンペーンなどで子供に「あっおバカさんが歩いてる」などと言われる程でした。元々タイトルが「私バカよね」でしたがデビュー曲でこのタイトルは可哀想だと先生が『心のこり』と付けてくれたんです。
その七年後「北酒場」も先生の作品で私にとっての代表曲です。
先生本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りしております。

細川たかし

■氷川きよし コメント

突然の訃報を聞いて、まだ、信じられない気持ちです。
なかにし先生は、すごい偉い先生なのに、私のような若い人間の話を真剣に聞いてくださり、心を汲んで、「母」という詩を書いてくださいました。
今年、こんな大変な世の中で、価値観や人生観が大きく変わっていくときに、この「母」を歌わせていただくというのは、自分の根幹、原点を見つめ直すためにも、本当に意味のあることだと思いながら、今年一年、歌ってきました。
本当に偉大な先生でした。
なかにし先生からいただいた「櫻」「出発」「母」は、先生からの人生のメッセージです。
なかにし先生の魂の作品をこれからも大切に歌わせていただきます。
先生、どうぞ安らかに。
そして、いつまでも見守っていてください。

氷川きよし
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