【赤坂英一 赤ペン!!】巨人・桑田真澄投手チーフコーチ補佐は、現役時代の自分のような走攻守三拍子揃った選手を育てられるのだろうか。巨人の主張するDH制度導入案が19日のセ理事会で否決され、セでは今季も投手が打席に立つことになった。そこで、独特の野球観を持つ桑田コーチがどのような指導をするのか、また新たな興味が湧く。

 桑田コーチはかつて、単なるピッチャーではなく「ゲーマー」になりたい、と発言したことがある。投球に加え、打撃、走塁、守備とあらゆる面で優れており、すべてのプレーを勝利につなげられる選手。それがゲーマーだ、というのだ。

 この基本的な野球観は、引退後も変わっていない。昨年1月11日、NHK―BS1「球辞苑/九番打者」に出演した際、セのDH導入案について水を向けられると、こう持論を語っている。

「野球は投げて守って、打って走って、全部やって野球じゃないですか」

 また、自分のスタイルについても「僕が一番得意だったのは守備。次が打撃。一番苦手なのが投球だったんです」と同番組で振り返っていた。投球が苦手だったとは思えないが、桑田氏の野手としてのセンスが抜群だったのは確かだ。当時の他球団のエースは「走者がいる場面で打順が桑田に回ったら遠慮なく内角を攻めていた」と証言。桑田氏のバックを守った篠塚氏や川相氏も、バント処理や捕球と送球の素早さを絶賛している。

 ただし、桑田コーチの若いころは、理想を追い求める完璧志向が、かえってアダになったことも少なくない。試合中、野手に凡ミスが出ると露骨にプッツンした顔になり、集中力を失って別人のように打ち込まれたりもしていた。

 そんなとき「何やってるんだ!」とマウンドで活を入れていたのが中畑氏。「おまえの投球で野手を安心させろ」と励ましていたのが川相氏だった。桑田氏の野球センスは、そういう野手との緊張関係によって磨かれた部分もある。

 ちなみに、当時は斎藤氏や水野氏も野手転向説が出るほどの打撃力を誇っていた。試合前のフリー打撃でサク越えの数を競っていたほどで、これも桑田コーチの“野手力”向上に役立っていたかもしれない。

 そうした経験の数々を、桑田コーチがいかに指導に生かしていくのか。いまから、キャンプ初日が楽しみである。

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。