伝説のロックバンド「BOØWY」の誕生について、当事者しか知り得ない当時の貴重なエピソードなどを初めて明らかになった。音楽プロデューサーであり、現在はデジタルアーティストとして活動する月光恵亮氏が無観客配信のトークイベント「Moonlight TALK~episode.01 BOØWY~」を先日、都内で開催した。アーカイブは26日深夜まで視聴可能。

 氷室京介の芸名は当初、「氷室狂介」と月光氏が命名したものを、後に本人が「京介」と改めたという。月光氏は「僕が、真樹日佐夫先生原作の漫画『ワル』が好きだったからです。物腰は柔らかくても威圧感ある不良のオーラと矢沢永吉みたいな歌唱力が魅力でしたね。」と、同作品の主人公・氷室洋二が由来の命名であることを明かした。

 BOØWY結成以前の氷室は、ビーイングのバンド「スピニッヂ・パワー」の織田哲郎の後任ボーカリストとして、本名で活動。テレビにも出演したものの、意向が合わずに脱退。BOØWY結成の仲人役を果たした一人が当時、ビーイング副社長だった月光氏だ。

「実は、原宿のライブハウス・クロコダイルで、BOØWYの原型となるバンドのライブを行ったんです。ギターは諸星アツシ、ドラムは後のBARBEE BOYSの小沼俊昭でした」

 この時からベースは松井恒松(後の松井常松)で、月光氏がロックバンド「フリクション」のギタリスト・恒松正敏からヒントを得て命名したという。

 そして、1982年には、6人組でビクター音楽産業からファーストアルバム「MORAL」をリリース。サックスの深沢和明、ギター諸星アツシは同年10月に脱退した。

 その後、事務所を移籍。88年に解散後、月光氏は氷室京介のソロのプロデュースに携わった。

 邦楽のコピーバンドが増えたきっかけになったBOØWYは、日本の音楽の歴史を変えたと月光氏は絶賛する。早くも第2弾のリクエストが殺到しているという。