70年代に国内外で人気のあった「演劇実験室◎天井桟敷」を率いた劇作家で歌人の寺山修司さんの愛弟子だった俳優の若松武史さんが亡くなった。70歳だった。

私が演劇記者となり、あこがれの寺山さんを天井桟敷の稽古場で初めて取材した時、若松さんはすでに天井桟敷の若きスターだった。日大芸術学部美術学科を中退し、1974年に天井桟敷に入団した。寺山さんが監督を務めた、79年製作の映画「草迷宮」では主演を務めていた。少年時代は当時15歳の三上博史が演じた。若松さんは男の色気があり、超人的な動きとちょっと甲高い独特の声が魅力的で、寺山さんの後期の代表作である舞台「身毒丸」「奴婢訓」に主演した。

寺山さんが83年に47歳の若さで亡くなり、天井桟敷が解散した後は、舞台では蜷川幸雄演出「テンペスト」「NINAGAWAマクベス」、野田秀樹作・演出「贋作・桜の森の満開の下」、ミュージカル「阿国」などに出演し、ドラマでは大河ドラマ「武田信玄」で信玄の弟信繁、「跳ぶが如く」で松平容保を演じるなど、幅広く活躍した。

そんな若松さんが、がんと判明したのは23年前だった。医療ドラマに医師役で出演した際、せりふの中に自分がおかしいと感じていた症状と同じことがあり、病院で検査を受けたところ甲状腺がんと分かったという。手術したものの、完治はせず、それから亡くなるまで甲状腺がんと向き合いながら、仕事を続けてきた。98年には天井桟敷時代から何度も共演した美輪明宏さんの助言もあって、それまでの「武」から「武史」に改名した。16年に美輪さん主演の舞台「毛皮のマリー」に出演し、19年にも同じ舞台に出演を予定していたが、直前に降板した。以降、仕事から遠ざかり、自宅で療養に専念していた。若松さんは大学時代に油絵を学んでおり、50代後半から画家としても活動を始め、これまでも何回か展覧会を開いていた。実は、71回目の誕生日となる今年7月2日から都内のギャラリーで個展を予定していた。若松さんは高尾霊園に眠る寺山さんの墓をよくお参りしていた。今頃は、心から慕い、信頼を寄せた寺山さんとの再会を果たしているのだろうか。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)