前千葉県知事のタレント森田健作(71)が27日、都内のスタジオで、FM NACK5「森田健作 青春もぎたて、朝一番!」(日曜午前5時30分)の収録に臨み、お笑いコンビ、ブッチャーブラザーズのリッキーこと岡博之(62)がゲスト出演した。2人ともサンミュージック所属で、4月から森田は最高顧問でリッキーも副社長に就任したばかり。大手芸能事務所の幹部がトークを繰り広げた。

2人の出会いは70年代末の京都。リッキーは高校卒業後、東映京都撮影所の俳優養成所に入り、大部屋俳優だった。相方のぶっちゃあ(66)や俳優徳井優(61)と自主映画も制作していたという。そんな時、森田も時代劇の撮影に撮影所に来ていて、仲良くなった。森田は「とにかく2人はあいさつがしっかりしていて、明るい。いつも前向きだった」と振り返る。

森田が現場マネジャーとして誘い、俳優志望の2人は上京することに。当時の森田の実家に居候することになった。東京駅に一緒に迎えにいったのが義兄。森田家は警察一家で、父も警察官で、義兄も暴力団担当の刑事だった。リッキーは「森田さんがアニキと呼ぶのですが、西郷隆盛そっくりで、てっきりその筋の人かと思いました。車に乗せられ、ぶっちゃあと『俺たちだまされた』とおびえていました」。

森田家の8畳間での3人の共同生活。リッキーらは夜遅く寝ても、森田が朝4時に起きるのでつねに睡眠不足だったという。その後、フジテレビ系「笑ってる場合ですよ!」の「お笑い君こそスターだ」に出演。次々と勝ち残り、ついに12代目チャンピオンに。サンミュージック初のお笑いタレントになった。

その後、同社のお笑い部門は紆余(うよ)曲折があった。お笑いから撤退することになった時は、お笑い事務所の人力舎に誘われて移籍。そこで、お笑いの学校を作ろうということになり、お笑いの裏方への道を歩み出す。当時の教え子にはアンジャッシュらがおり、再びサンミュージックに誘われ、ダンディ坂野をブレークさせた。

お笑いライブを最初に手掛けたのもリッキーで、業界では東京芸人の父とも呼ばれている。カンニング竹山もその1人だ。2人は売れず、年に1回の査定会議で、カンニングを含む3組がクビになる中、リッキーはどこかあきらめきれずカンニングを個人で引き受けたという。その後、竹山はキレ芸がさらに磨かれブレークした。リッキーはその時のことを、笑顔で語っていた。森田も「竹山は事務所の経営に向いていると思うんだ。リッキーが副社長になったように、今度は、後輩の芸人を引き上げてくれ」とエールを送った。

収録を終えたリッキーは「本当に楽しかった。42年前からのことなんですが、ずっと継続したままの感じです」。副社長としては「やはり俳優や歌手を育てないと。オーディションを受けるだけの受け身ではなく、自分が何をやりたいのか、まずはモノを作るということをやってほしい」と語った。

リッキーがゲストの回は、5月2日から4週にわたって放送される。