【赤坂英一 赤ペン!!】「僕も聖火リレーを辞退しようかと考えました。コロナ禍で岡山にも緊急事態宣言が出て、公道での開催が中止になったでしょう。僕の場合、神奈川から新幹線で移動するリスクもあったから」

 先週19日、岡山で聖火リレーに参加した巨人・中日OBの評論家・川相昌弘氏(56)が、改めて胸の内の葛藤を振り返った。「このご時世で、辞退を考えない人はいません。みなさんが複雑な思いで参加してたんですよ」

 岡山出身の川相氏に、市役所から聖火ランナーの依頼があったのは一昨年暮れだった。快諾した川相氏は、近代オリンピックや聖火リレーの歴史について勉強。昨年3月、女子マラソン金メダリストの野口みずき氏がギリシャで走者を務めた採火式のテレビ中継も見た。

「そのとき、あの聖火を東京の聖火台までつなぐ一人に僕が選ばれたのかと、特別な思いが湧いてきました。僕の誕生日は1964年9月27日で、2週間後の10月10日に前の東京五輪が開幕しています。野球も五輪種目になったけど、僕は選手や指導者として参加できなかった。だから、聖火をつなぐランナーとして五輪に関われるのは大変光栄だと思ったんです」

 聖火リレーの3日前、五輪組織委員会から公道での開催を正式に中止したとのメールが届いた。代わりに行われるトーチキスの要項が書いてあり「希望される方はご参加を」という意味のただし書きがついている。組織委でもあらかじめ辞退者が出ると想定した文面だった。実際、川相氏に聖火をつなぐ予定の有森裕子氏は、その直後に辞退を表明している。しかし、川相氏は熟慮の末、参加を決めた。

「こういう役割を任された以上、責任を全うしたいという結論に至りました。岡山には野球の指導で何度も帰っているし、聖火ランナーは僕にとっても、岡山にいる僕の親兄弟にとっても一生で一度のことです。万全を期して、リレー2日前の17日に検査を受け、前日18日に陰性の結果が出るのを待ち、19日当日に岡山に入りました」

 聖火リレーには専属のスタッフチームがいて、専用シャトルバスで日本全国に随行している。その中には、川相氏が指導している大学野球部の元マネジャーもいた。

「否定的な意見も多い中で、黙々と聖火リレーの運営に尽力している人たちがいるんです。その姿も印象に残りました」

 なお、リレー用ユニホームは無料だったが、71センチ、1・2キロのトーチは有料で7万1940円。専用の筒に入れて担ぎ、岡山駅から帰りの新幹線に乗る前、売店の店員に「川相さん、それ何ですか?」と聞かれたそうだ。 

 ☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。