歌舞伎俳優の片岡秀太郎さんが亡くなりました。79歳でした。上方歌舞伎を代表する女形で、人間国宝でもあった秀太郎さんですが、「松竹・上方歌舞伎塾」で歌舞伎俳優を目指す若者たちを指導したり、今や人気者になった片岡愛之助が18歳の時に養子として迎えたことでも知られています。

愛之助は大阪・堺で歌舞伎とは無縁の家庭に生まれましたが、子役として舞台に立つようになり、歌舞伎に出演した際に秀太郎さんの目に留まりました。その将来性を買って、秀太郎さんの父13代目片岡仁左衛門の部屋子となり、片岡千代丸を名乗りました。部屋子というのは、見込みがあると認められた一般家庭出身の子役が幹部俳優の楽屋に預けられ、幹部候補生として芸などを仕込まれる立場のことです。

20歳の時には子供のいなかった秀太郎さんの養子となり、6代目片岡愛之助を襲名。今は歌舞伎だけでなく、ドラマや映画でも活躍しています。

歌舞伎は400年を超える歴史の中で、名門の御曹司だけでなく、養子として歌舞伎界入りした愛之助のように外から新しい血と才能を採り入れてきました。人間国宝でもある坂東玉三郎も養子でした。都内の料亭に生まれ、小さいころから舞踊を習っていた縁から14代目守田勘弥の部屋子となりました。実は勘弥には2人の男の子がいたのですが、ともに役者にはならなかったこともあって、玉三郎は芸養子を経て、24歳の時に勘弥の戸籍上でも養子となり、現在は当代最高峰の女形として活躍しています。

そのほか、中村梅玉、中村魁春の兄弟も6代目中村歌右衛門の養子ですし、男の子のいない梅玉は部屋子だった梅丸に初代中村莟玉(かんぎょく)を名乗らせ、19年に養子にしています。名門の「血」だけでなく、実力のある養子によって「家」をつないできた歴史が歌舞伎にあります。秀太郎さんが愛之助を歌舞伎の世界に引き入れたことは、功績の1つかもしれません。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)