16日に歌手湯原昌幸と南部なおとが結成した音楽ユニット、ダニーボーイズのデビュー曲「涙のサイドウォーク」の発売記念ライブを取材するために、横浜・本牧ゴールデンカップに行ってきた。湯原74歳、南部70歳という合計144歳のユニットだ。

その名の通り、かの有名なGS(グループ・サウンズ)グループ、ゴールデンカップスをはじめとして、さまざまなミュージシャンが歴史を刻んだ趣のあるライブハウスで、飾られている写真を眺めながら、演奏後の湯原に話を聞いてきた。

あと2カ月で定年の60歳を迎える記者にとって、湯原は今からジャスト50年前、1971年(昭46)に「雨のバラード」をヒットさせた歌手だ。ネットなどみじんもない時代、累計120万枚のミリオンセラーは、国民誰もが、その歌詞まで知るヒット曲だった。

その後は74年にせんだみつお(73)とコンビを組んで司会を務めたTBSの音楽バラエティー「せんみつ・ゆはらのドット30」などバラエティーで活躍。83年には36歳で、13年下の歌手荒木由美子と結婚して、世間を大いに騒がせた。

当時は30代半ばのおじさん歌手が、うら若き美人歌手を嫁にしたとうらやましがられたり、嫉妬交じりの罵声もとんだが、今となっては何でもない。時代が違うとはいえ、記者と同い年で60歳になる直前の今月18日に59歳で、31歳の年下の岡田ロビン翔子(28)と3回目の結婚をした声優山寺宏一(60)と比べれば、かわいいものだ(笑い)。

ライブには奥様の荒木由美子(61)も顔を出していた。77年のデビュー曲「渚でクロス」の話題を出して、スクランブル交差点というものを同曲の歌詞で知ったことを報告させてもらった。

ソロになってからの歌手湯原昌幸の姿しか知らない記者だが、デビューのきっかけは日本テレビの伝説の音楽番組「ホイホイ・ミュージックスクール」に64年に出演したこと。これまた伝説のバンド「スイング・ウエスト」でボーカルを務めた。

同バンドは在籍時こそ違うが、ホリプロ創設者の堀威夫氏(88)、田辺エージェンシー創設者の田辺昭知氏(82)らが在籍。そして59年の「僕はないちっち」、60年の「有難や節」のヒットで知られ、昨年なくなった守屋浩さん(享年81)や68年の「今は幸せかい」で知られる佐川満男(81)がボーカルとして在籍している。「芸能界で頭を下げなくちゃいけない人なんて数えるくらいですね」と聞くと「いやいや」と笑いながら、こちらのぶしつけな質問にあれこれと答えてくれた。

相方の南部によると、湯原は「年齢は7掛け」と言っているという。すなわち51・8歳だ。湯原の目標は「元気で長生きがテーマ。あと15年は歌いたい」と教えてくれた。

湯原が在籍していた時代のスイング・ウエストはGSスタイルだったという。60年代後半に爆発的人気を誇ったGSは、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、ザ・スパイダースといったアイドル的なグループは幼心に覚えていても、その他は余り知らない。新たな取材意欲をかき立ててくれる、ダニーボーイズの取材だった。