東京オリンピック・パラリンピック2020の開幕まで3週間を切った。スポーツの祭典を盛り上げるのは選手の活躍だけでなく、音楽も貢献している。

音楽の祭典と言えば、やはりNHK紅白歌合戦。その紅白で「栄光の架橋」(ゆず)「Hero」(安室奈美恵)など、数々の五輪関連歌が歌われている。12年のロンドン大会のテーマ曲「風が吹いている」(いきものがかり)は紅組トリに起用された。これらはNHKのテーマソングだが、民放各局の五輪関連曲も多数ヒットしている。

五輪関連の歌が紅白で始めて歌われたのは、1952年(昭27)の第2回までさかのぼる。この年はフィンランドでヘルシンキ夏季五輪が開催された。日本選手団を激励する「オリンピックの歌」を藤山一郎が歌い、紅白の大トリで歌唱した。紅白は第3回まで年末ではなく、年明けの三が日に放送されていたため、年頭にオリンピック機運を高める形となった。

五輪関連の歌ですぐに思いつくのは、64年に開催された前回の東京五輪のテーマ曲「東京五輪音頭」だろう。三波春夫の歌唱で大ヒットしたが、同曲が紅白で歌われたのは実に25年後だった。

64年の東京五輪は敗戦から立ち直り、経済成長を成し遂げた日本を世界にアピールする場でもあった。この年の紅白は第15回。前年の63年から、東京五輪にあやかって「東京」の歌が多数発売されていた。その中から「東京の灯よいつまでも」の新川二朗が初出場を果たし、「さよなら東京」で坂本九、「東京ブルース」で西田佐知子、「ウナ・セラ・ディ東京」でザ・ピーナッツが出場した。植木等の歌唱曲「だまって俺についてこい」も、東洋の魔女を率いて女子バレーボールで金メダルを獲得した大松博文監督の名文句が元だった。そして紅組のトリは美空ひばりで「柔」。柔道をテーマに前年から大ヒットを続けていた。

そうなると大トリは「東京五輪音頭」の白組・三波春夫と思う。しかし、三波は大トリだったが、歌ったのは長編歌謡浪曲の名作「俵星玄蕃」だった。

「東京五輪音頭」はNHKの制定曲ではあるが、NHKのテーマソングではなく、東京五輪のテーマ曲だった。五輪のムードを盛り上げるため、レコード会社6社競作として63年6月に発表された。三波だけでなく三橋美智也、橋幸夫、坂本九、北島三郎らが歌った。三波盤がダントツに売れ、「東京五輪音頭」と言えば三波春夫と誰もが思ったが、「競作」がネックになったのだろう。64年の紅白で歌われなかった。

前年の63年紅白は、今でもエンディング恒例の「蛍の光」に替えて「東京五輪音頭」を合唱して幕を閉じている。当然、翌年に迫った東京五輪を盛り上げるためのだったが、あくまで合唱だった。

三波は58年から86年まで29回連続で紅白に出場したが、87年の30回連続の節目を前にして「後進に道を譲りたい」と出場を辞退した。出場した29回で三波は「東京五輪音頭」を1度も歌唱していなかった。

昭和から平成に年号が変わった89年の紅白は、くしくも第40回の節目と重なった。そして前半を「昭和」、後半を「平成」として初の2部構成で放送された。三波は特別な年の出場依頼を受諾。3年ぶり30回目の紅白で、昭和という時代を象徴する東京五輪のテーマ「東京五輪音頭」を初めて披露したのである。

前回の東京五輪は戦後復興の証しだった。東京オリンピック・パラリンピック2020は、コロナ禍を乗り越えた証しとして開催されようとしている。年末の紅白で、歌手全員で高らかに歌う「東京五輪音頭」を聴いてみたいなと思う。【笹森文彦】