ドラゴンゲートの神戸ワールド記念ホール2連戦(7月31日、8月1日)で現役生活にピリオドを打つ〝スピードスター〟吉野正人(41)が、引退を控えた心境を激白した。ドラゴンゲートへの思い、そして理想とする「引退」とは。


【吉野正人インタビュー(後編)】

 ――いよいよ引退が迫ってきた。神戸ワールド記念ホール2連戦への意気込みを

 吉野 コンディション次第ですけど初の2連戦ですから(両方)出たいなっていうのは思いますよね。とりあえずお客さんと楽しむ空間をつくりたいなっていうところですかね。コロナ禍になって余計そういう思いが強くなりました。音楽でも野球でもそうですけど、一体感というかライブの空気ってあるじゃないですか。みんなで一緒につくり上げて共有できるのがエンターテインメントだと思うので、お客さんに来てもらうからには楽しんでもらうのが大前提ですよね。

 ――カードは未定だが希望は

 吉野 土井(成樹)ちゃんはずっとサポートしてくれると言ってくれてるので、もちろん絡むことにはなると思うんですけど。まあでも最後はワイワイできたらいいなっていうのが個人的希望です。大勢になってもいいですから、なるべくいろいろな選手と絡みたい。ゆかりのある選手だったり、どの選手でも最後になるので。タイトルマッチもあるので、そこへの出場が決まってる選手は無理ですけどね。

 ――今後のドラゴンゲートについて

 吉野 中心は若い選手になってくるんでしょうけど、自分たち(の世代)が闘龍門からドラゴンゲートという歴史をつくってきたじゃないですか。そういう選手が1人抜けようとしているので、彼らなりのやり方でこれからのドラゴンゲートの歴史をつくっていってもらいたいと思います。心配というよりは、どう楽しませてくれるんだろうという期待がありますね。逆に引退したら客席からも1回、ドラゴンゲートを見てみたいなって思ってるんですよ。

 ――一ファンとして

 吉野 自分、プロレスのファン時代がすごく短かったんです。見始めて4年後にはメキシコでデビューしてたので。大学を1年で中退してこの世界に飛び込んだので、数えるくらいしか会場で見てないですしね。

 ――レスラーになる決断もスピードスターだったと。当時は両親に猛反対されたようだが

 吉野 そりゃ大学行って1年でやめるって言って止めない人はいないでしょ。でも今は両親が一番の自分のファンじゃないですかね。十分頑張った姿は見せてもらったので、これ以上は無理せんといてほしいって感じです。ここで辞めてくれてよかったということは言ってくれてますね。今こうして21年続けられたということで、認めてもらえたのかなって気持ちはあります。

 ――ファン対しても感謝の気持ちがある

 吉野 自分がまだイタリア人だったころ(イタリアンコネクションのYOSSINO時代)から見てくれてる人もいるだろうし、その時代を知らずに最近ファンになってくれた方もいると思うんですけど、吉野正人というレスラーを知ってもらえた、応援してもらえたということはありがたいこと。最後の燃え尽きる姿、完全燃焼したところを見てもらいたいです。

 ――吉野選手にとって「理想の引退」は

 吉野 名前を出すのもおこがましいんですけど安室奈美恵さんですかね。人気絶頂で、まだ歌えて踊れるのにパッと引退されたじゃないですか。「まだできるのになんで?」「もっと見たい」と思われている時に辞められたのは、業界は違えど本当にすごいなと思って。それが理想です。惜しまれながらっていうか。

 ――自身のラストファイトでもそういうものを見せたい

 吉野 そうですね。自分も動けない吉野正人ではなく、動ける吉野正人のまま引退したい。スピードスターとして、最後まで走り抜けたいなと思ってます。(終わり)


 ☆よしの・まさと 1980年7月17日生まれ。大阪・東大阪市出身。大学中退後にメキシコに渡り闘龍門7期生として入門。2000年9月にメキシコでの伊藤透(現・大鷲透)戦でデビュー。中量級のブレイブゲートの絶対王者に君臨し、10年の初戴冠を皮切りに団体最高峰のドリームゲート王座を4度手にした。13年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」では技能賞を受賞。必殺技はソル・ナシエンテ改。172センチ、77キロ。