ドラゴンゲートの〝スピードスター〟吉野正人(41)が神戸ワールド記念ホール2連戦(7月31日、8月1日)で現役生活にピリオドを打つ。惜しまれつつリングを去る男は今、何を思うのか。引退試合を控えた心境を聞いた。


【吉野正人インタビュー(前編)】

 ――引退の経緯は

 吉野 2017年1月の試合中に頸椎ヘルニアと中心性頸椎損傷というケガをして、その時点で引退の決断はすぐにしました。今までに感じたことのないような首の痛みとしびれですね。風が吹いただけで痛いみたいな状態だったので、ただごとじゃないなと。そこから治療に入っていくんですけど、その時点で思ったのは「もし復帰できたとしても、できてあと3年くらいだな」と。自分の体は自分が一番分かるので。

 ――肉体の限界が訪れた

 吉野 ちょうど2020年がデビュー20年で、40歳になる年でもあったので。体が持つのもあと3年、ちょうどキリがいいのも3年というところで、引くのはこのタイミングしかないかなと。

 ――昨年で引退する当初の予定を1年延期した

 吉野 2019年に引退表明して、1年間の余裕を持たせていたんですよね。引退イヤーということで。それがコロナの影響で興行が止まってしまった。お客さんは見る機会を、自分も試合をする機会を失ってしまったんです。まだまだ生活していくなかで我慢することっていっぱいあると思うんですが、引退を伸ばすことによって少しでもファンの方の楽しい時間、活力になるような時間が増えるのであれば、そういう声にも応えるべきなのかなと思いました。

 ――少しでもファンが自身の姿を見る機会を増やしたいと

 吉野 1年に1回しか行けないところもありますし、20年やってきたので最後はマイクでお礼を伝えたりしたかったですし。フル参戦はできなくても、テレビが入る会場だったり、みんなの目に触れるところには可能な限り出て。会場に来られない人にも見てもらえる機会を増やそうということで、延期を決めました。

 ――現在の首の状態は

 吉野 今でも高知県でバイタルリアクトの治療はずっと行ってるんです。最近はちょっとずつよくなってきて、それでも月に1回は泊まりで行って、2~3日はいる感じです。

 ――首のケガはレスラーの宿命でもある

 吉野 昔から大きなケガは多かったんですよ。骨折とかは骨がくっついて回復してくれば、トレーニングでカバーできると思うんですけど、今回の首に関しては…。プロレスをやるには限界かなと思いますね。

 ――レスラーとしては小柄の部類。ケガに泣かされることも多かった

 吉野 体格差でケガをしたというより、(自分が)無茶をしましたよね。それに03年くらいから年間180~200試合をやっていたので。年齢的には若いととらえられるかもしれないですけど、年間200試合を20年近く続けてきたら消耗も激しいし、ケガのリスクも増えてきますし。

 ――後悔はない

 吉野 それは全くないですね。夢がかなったということもありますし、この業界にいたことで日本全国を回れて海外にも行けていろいろな人と出会えたので。それは財産かなと思いますね。

 ――引退後に関しては

 吉野 もちろん考えてはいるんですけど、まずは引退試合まで完走することが最優先ですね。その後のことは、今は置いておいてリングに集中したいなと思ってます。(中編に続く)

 ☆よしの・まさと 1980年7月17日生まれ。大阪・東大阪市出身。大学中退後にメキシコに渡り闘龍門7期生として入門。2000年9月にメキシコでの伊藤透(現・大鷲透)戦でデビュー。中量級のブレイブゲートの絶対王者に君臨し、10年の初戴冠を皮切りに団体最高峰のドリームゲート王座を4度手にした。13年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」では技能賞を受賞。必殺技はソル・ナシエンテ改。172センチ、77キロ。