新たな伝説の始まりだ。東京五輪・レスリング女子57キロ級決勝(幕張メッセ)で川井梨紗子(26=ジャパンビバレッジ)がクラチキナ(ベラルーシ)を下し、大会2連覇を達成。62キロ級を制した妹の友香子(23=ジャパンビバレッジ)とともに、夏季五輪では日本史上初となる姉妹金メダルに輝いた。絶対的エースとしての重圧に負けず、偉業を成し遂げた。その身には窮地に追い込まれながら金メダルを獲得した、偉大なレジェンドたちの「魂」が受け継がれていたという。

 序盤から組み手で優位に立ち、勝機を逃さずポイントを重ねた。相手の反撃をかわし、逆にポイントにつなげる女王の試合運びで快勝。「昨日、友香子にあんな試合を見せられたらやるしかないと思った。こんないい日があっていいのかな」と満面の笑みを浮かべた。

 五輪4連覇の伊調馨(ALSOK)との壮絶な代表争いを経て、五輪代表の座をつかんだ。今大会はチームの主将で絶対的エース。しかし期待を一身に背負う重圧は計り知れず、五輪本番で予測不可能な事態が発生する可能性もある。川井梨が「もう一人の父」と慕う金浜良コーチは「どんな困難に接しても金メダルを取ったレジェンドたちの実話を、ことあるごとに伝えてきました」と明かす。川井に勝者の心構えを教えてきたという。

 金浜コーチは1988年ソウル五輪フリー57キロ級代表。柔道男子95キロ超級で金メダルを獲得した故・斉藤仁さんとは、同郷(青森)で親交があった。ソウルで柔道は大不振。V候補たちが次々に敗れて金メダルゼロが続き、すべての重圧が最終日に出場する主将の斉藤さんにのしかかってきた。当時は世界からの圧力もすさまじく、85年の世界選手権ではライバル選手の攻撃でヒジを脱臼している。

 試合前日、選手村の食堂で食事をとりながら日本中の期待を背負った男は、金浜コーチにこう語った。「もう、柔道じゃ勝てねえ。おれは相撲をとってくるから」。斉藤さんは言葉通り派手な一本勝ちを捨て、勝つことにだけにこだわり金メダルを獲得した。

「古賀(稔彦)さん(故人)もソウルで一本にこだわるあまりメダルを逃し、4年後のバルセロナではケガを負いながら、勝ちだけを考え金メダルを取った。そういう戦い方もあるんだ、と」(金浜コーチ)

 ソウル五輪レスリングフリー48キロ級で金メダルを獲得した小林孝至氏の〝開き直り〟も伝えた。非常に真面目な性格の小林氏は、厳しい練習に悩む様子があったという。金浜コーチが「先輩、僕は酒も飲んでいますよ。飲んで、寝ちゃえばいいんですよ」と伝えると、小林氏は「そうか!」。我慢から解放され、元気を取り戻して金を手にした。

「試合前にあれこれダメと言って結果が出ないより、やりたいことを楽しくやって金メダルを取れるほうがずっといいんだよ、と」(同コーチ)

 これら偉人たちの「金メダル伝説」を食事をともにしながら伝えられた川井梨は「皆さんの歴史を聞くことができて、幸せです」と聞き入っていたという。

 リオ五輪後、競技を辞めたくなるほどの落ち込みも不安も乗り越えた。「プレッシャーが応援になると信じていた」と重圧さえも力に変え、最高の結果を残した。レジェンドたちに続く日本スポーツ界の顔になった女王が、今度は新たな伝説を築く番だ。