ジャニーズ事務所の藤島メリー泰子(ふじしま・めりー・やすこ)名誉会長が今月14日午前、都内の病院で、肺炎のため93歳で死去した。17日、同事務所が発表した。19年に死去した弟のジャニー喜多川氏(享年87)とともに、1962年の創業からジャニーズ帝国を支えた“女帝”だ。現在は娘の藤島ジュリー景子氏(54)が代表取締役社長を務めており、同事務所は本格的に新体制へと移行していく。

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いつも「メリーさん」と呼んでいた。はっきり物を言う方で、何度も怒られたが“女帝”というイメージはまったくなかった。

98年にメリーさんが東京・築地の日刊スポーツに乗り込んできたことがあった。新聞社を自ら訪ねるのは異例だった。理由は前年から始まった「第1回日刊スポーツ・ドラマグランプリ」への提言だった。

第1回は「読者投票」と、記者と評論家による「審査員票」で各賞を決めていた。票の比重は半々。応対した私に「あなた、全部のドラマ見ているの?」と聞いてきた。私は「見られる限りは、録画してでも…」としどろもどろに答えた。「見られないのに(記者や評論家が)審査するのはおかしいですね」とズバッと指摘された。そして「やはり視聴者に任せるべきです」。言外に「そうしないとジャニーズのタレントは出さない」のニュアンスを感じたが、メリーさんは純粋にドラマグランプリのことを考えてくれていたと思う。第2回から読者投票だけに切り替え、今年の第25回の節目につながっている。

同時期、木村拓哉が月刊誌で初めてヌードを披露した。“半ケツ”の衝撃的な写真で「ニュース性がある」と判断。事務所や出版社に無許可で紙面に転載した。すぐに事務所に呼ばれた。いすに座るメリーさんの前に上司と2人で直立し、理由を説明し謝罪した。するとメリーさんは、おもむろに出版社の編集長に電話をして「(雑誌を)どういう管理をしているの。管理が甘いからよ!」と、逆に出版社側を叱ったのだ。私には「ニュースを追うのも仕事でしょう」と言っているように聞こえた。編集長から後日「完売しました」と感謝の電話があった。

07年に仙台市にある東北総局に総局長として異動になった時、直筆のはがきをいただいた。「仙台で強いお相撲さんを育成して下さいな、在任中に必ず!! お元気で」とあった。果たせなかったが、はがきは宝物としてアルバムに貼ってある。【元ジャニーズ担当 笹森文彦】