日本プロレス殿堂会の日本プロレス70周年記念大会(14、15日=後楽園ホール)ではアントニオ猪木氏、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、藤波辰爾、天龍源一郎ら6人が2021年度殿堂入りを果たした。

 天龍が40年間の現役生活の中でも「間違いなく俺のベストバウト」と断言するのがジャンボ鶴田との3冠へビー級戦と、WWF(現WWE)、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体共催による「日米レスリング・サミット」(1990年4月13日=東京ドーム)での“マッチョマン”ことランディ・サベージとの超異色マッチだった。

 まさに水と油。87年から始まった天龍革命を機に、お互いの骨がきしむような過激なプロレスを続ける天龍。一方、前年4月に“超人”ことハルク・ホーガンに敗れるまでWWE王座を保持したトップ中のトップ、サベージ。日本独特の武骨なプロレスの象徴と、アメリカンプロレスの神髄の激突はかみ合うのか?と戦前から危惧する声が渦巻いていた。

 しかし天龍本人だけは違った。デビュー前から3度の米国遠征を経験しており、むしろアメリカンプロレスがベースとなっていたからだ。天龍は後年に「俺自身が決まった時、違う天龍源一郎を見せられるチャンスだと思っていた。トータルで約5年の米国修行を経験していたし、むしろ(81年にジャイアント)馬場さんに『いい加減に帰ってこい!』と言われなければ、そのまま米国に残りたかったしね」とひそかに自信を抱いての出陣だった。

 ゴングが鳴ると、マネジャーのシェリー・マーテルを帯同したサベージは、東京ドーム最上席からでも確認できる大きなアクションから、最上段ダイビングエルボードロップを放つ。一方の天龍は己を貫いて逆水平チョップ13連打。こちらもドーム中に「バシーン!」という爆音が響いた。

 サベージは想像以上に打たれ強い。相性が良かったのか、お互いのプロレスセンスが卓越していたのか、試合はガッチリと歯車が合って場内は両雄の激闘にだんだんと引きずり込まれ、天龍がシェリーのお尻を叩いてお仕置きするなどの「山場」もあった。

 最後は天龍が豪快なパワーボムで劇勝。「プロレスは攻める時と引く時の絶妙なバランスが成立するかどうか。俺はそれまでシャカリキになって前のめりになって生きてきた。少し肩の力を抜いてみろよ、と言われた気がした。大衆娯楽としてのプロレスが何たるかを学んだね。その点、サベージには感謝しているよ」と振り返っている。現役選手でもこの試合に魅了されてプロレスラーを目指した選手も多い。

 天龍は試合6日前に天龍同盟を解散したばかりで、同年4月に全日本を退団してメガネスーパーが設立したSWSに参加。サベージ戦のようなプロレスを標榜して「カラッと激しいプロレスを目指す」と宣言した。

 その後、92年7月にWARを旗揚げしてからも、その決意は揺るがず、ジャンルにこだわることなく、15年11月15日両国国技館の引退試合(対オカダ・カズチカ戦)まであらゆる戦いに挑み続けた。ミスタープロレスの原点のひとつは、サベージ戦にあったと断言していい。 (敬称略)