男女の愛を描いた小説や人々の心に寄り添う説法で知られ、文化勲章を受章した作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが9日午前6時3分、心不全のため京都市内の病院で死去した。99歳だった。自らの体験をもとに「今を切に生きよう」と語りかける寂聴さんのもとには老若男女、文化人から政治家、芸能関係者まで、悩みを抱える多くの人々が集まった。

 関係者によると、寂聴さんは先月から体調不良で入院していた。葬儀は近親者で執り行われ、後日、東京都内でお別れの会を開く予定だという。

 京都市右京区にある寂聴さんの自宅「寂庵」には「取材・来庵は当面お断りしております」との張り紙が貼られ、関係者の出入りもほとんどなくヒッソリしていた。

 生前の寂聴さんを知る関係者は「私は100歳まで生きるということをよく話していました。実際にお年を召してからもお元気だったし、生きるだろうなとも思っていた」。健康維持のために肉をよく食べていたそうで「『お肉を食べないと、小説を書けないのよ』と言っていました。健啖家だったというのは印象にありますね」と語った。

 寂聴さんは東京女子大在学中の1943年に結婚したが、寂聴さんの不倫が原因で夫と娘を捨て出奔、離婚した。かつては「瀬戸内晴美」という名前で活動していたが、73年に当時の交際相手との関係を絶つため、岩手県の中尊寺で得度し、法名を寂聴に改めた。

「生きることで一番大切なのは人を愛すること」と言う寂聴さんは「不倫がいけないって誰が言い出したの? 恋愛って順序だてて来るものじゃなくて落ちてくるもの。いけないいけないって言ってたら、一生男も女も1人でいるしかなくなりますよ」と話していた。

 自分に正直な生き方を貫く寂聴さんの姿に周りには多くの人々が集まった。親交のあった女優・南果歩は、ニューヨークで寂聴さんの訃報に触れ「私の心は京都寂庵に有ります。幾度、寂庵に先生を訪ねたことでしょう。私の不幸話を笑い飛ばし『あなた、これからが人生楽しいんだから、たくさん恋をしなさいよ!』と、いつも励ましてくださいました。先生の法話と笑顔に救われたのは私だけではありません」と感謝した。

 一方で、寂聴さんは「愛とは思いやる心です」とも話していた。自身が「子宮作家」と批判されたこともあり、大麻所持で逮捕された〝ショーケン〟こと俳優・萩原健一を迎え入れたり、STAP細胞論文不正問題で批判された小保方晴子氏と対談するなど、社会的にバッシングを浴びた人々に優しく手を差し伸べた。

 前衆議院議員の辻元清美氏は秘書給与詐取疑惑で議員辞職した時、寂聴さんから声をかけられたという。辻元氏は11日、ツイッターに「寂聴さんは私の2002年の議員辞職後『寂庵においで』と招いて下さり、約一カ月庭掃除をしながら自分の心と向き合うよう諭して下さった。このときの対話がなければ、私の心は折れていました。いま、あらためて寂聴さんの言葉をかみしめています。どうか安らかにお休みください」と記した。

 また寂聴さんは2014年の東京都知事選で、脱原発を掲げた細川護熙元首相が立候補した際、「原発はあってはならないし、安倍政権の暴走を見ていられない」と応援に入ったことがある。細川氏は当時76歳で「歳をとりすぎ」との批判があった中、寂聴さんは「私は満91歳。70歳の時に源氏物語の訳を始めて、76歳で仕上げた。私から見たら細川さんは子供みたいなもの」とハッパをかけた。

 さらに寂聴さんは当時、〝エロスの伝道師〟としてブレークした壇蜜に対抗心を燃やしたことも。細川氏が壇蜜の袋とじグラビアを見ていた話を聞き、「猥談なら壇蜜には負けない」と張り合ったこともあった。

 寂聴さんの思いは、いまも多くの人の心に刻まれている。