【多事蹴論(23)】日本代表の大黒柱が豹変した理由とは――。2006年ドイツW杯出場を目指していた日本代表は04年3月31日に敵地でW杯アジア1次予選シンガポール戦に臨み、2―1で勝利。FW高原直泰のゴールで先制するも追い付かれ、終盤の後半37分にMF藤田俊哉の決勝弾で競り勝った。その試合後にイタリア1部ボローニャに所属していたエースのMF中田英寿はロッカールームでイレブンを罵倒した。

 当時のチームスタッフやイレブンの話によると、中田はロッカーに戻ると「集中力がない! もう1回同じ試合をしたら次はない。W杯がないんだぞ」とチームメートに怒声を浴びせたという。その後、日本サッカー協会の川淵三郎キャプテンが「勝ってよかった」などと選手をねぎらうも、エースは「キャプテンは慰めで言っているだけ。もう一度、やり直そう。最後までやらないと――」などと鬼気迫る表情で激しく訴え、選手個人への痛烈なダメ出しもあったという。

 実際にふがいない試合だった。気温30度を超える暑さもあってか動きに精彩を欠いてシュートミスを連発。特にスタミナを消耗した後半はプレースピードも低下し、何度も決定機をつくられるなど、ピンチの連続だった。なんとかしのぎ切って勝利したものの、ジーコ監督も仏頂面。キャプテンを務める中田の怒りは当然といえるのだが、実は、すべてが“計算”された行動だった。

 当時のスタッフは「昨年(03年)ルーマニア遠征くらいから選手たちに厳しいことを言うようになっているんだけど、今回は激しかったね。ヒデはあえて嫌われ者になろうとしている。(前任のフィリップ)トルシエ監督がそうだったように、自分が嫌われ役になることでチームを結束させようとしているそうだ」と明かした。

 02年日韓W杯に臨んだ日本代表は過激な言動で知られるトルシエ監督への反発心からイレブンは結束を深めた。あるときは選手だけで対策を練り直し、不安視されていた守備対応も指揮官の指示を臨機応変に変更。その結果、日本代表は1次リーグを突破し、初のベスト16入りを果たした。中田はドイツW杯に向けて自身がトルシエ役になってチームの一体感を高めようとしたわけだ。中田は同戦後に「本当は選手個人が(予選の厳しさに)気付かないといけない。僕の経験を伝えようとも思うけれど、一人ひとりが変わらないと伝わらない」と話していたが、ある選手は「ヒデさんは言い過ぎだよ。言ってることはごもっともだけど、あれじゃ、やる気をなくす選手が出てくる。付いていけない」などと、反発するイレブンは多かった。

 日本代表はアジア予選を勝ち抜き、ドイツW杯に出場したものの、嫌われ役を務めた中田がチーム内で浮いた存在となり、見せ場なく1次リーグで敗退。大会後、中田は引退することになった。