70~80年代の映画界を席巻し、「風雲児」と呼ばれたプロデューサーの角川春樹氏が来年1月に80歳となる。節目を前に発売した「最後の角川春樹」(毎日新聞出版)では、映画史家・伊藤彰彦氏の40時間に及ぶインタビューに応え、その波瀾(はらん)万丈の半生の裏側を明かしている。

第1作「犬神家の一族」(76年)の裏では、丼勘定だった映画製作費を巡り、現場を任せていたベテランプロデューサーを告訴し「明朗会計化」したいきさつも明かしている。「文通費」を巡る、政界のいまさらながらの騒動をほうふつとさせるが、数々の武勇伝に止まらず、何事も白黒はっきりさせなくては気が済まないこの人らしいエピソードだ。

角川氏の映画界参戦は、駆け出し記者だった頃に重なる。初期は「敵」の方が多かった気がするが、いつの間にか、際限ないパワーに引きずられ、80年代の映画界は角川色に染まっていった。

神懸かった発言も連発したが、周囲に「信仰」を押しつけることはしなかった。「セーラー服と機関銃」(81年)の大ヒットに沸く劇場の楽屋を訪れた時のことはよく覚えている。主演の薬師丸ひろ子の方を指して「今、ひろ子には後光が差している。君にも見えるだろう?」と真顔の角川氏。答えに窮していると、当の薬師丸がこらえ切れずに笑いだした。「まずい」と思って恐る恐る角川氏の様子をうかがうと、怒るどころか笑顔だった。このおうようさで、俳優やスタッフの人望はいまだに厚い。

以来、事あるごとに取材してきたが、いい時も悪い時もきっちりと向き合ってくれるところがありがたかった。

93年にコカイン密輸事件が起きた時は、「刑事被告人」として、それまでに取材したエピソードに反対側から光を当て、かなりのことを書いた記憶がある。が、仮釈放中や、刑期を終えた復帰作の取材では何事もなかったように質問に応じてくれた。

今回の本では、仮釈放中には、膨大な弁護費用に4度目の離婚(計6回の結婚歴がある)の慰謝料も重なって、何もない7畳ひと間で暮らしたことを知り、当時のどん底ぶりに新たな驚きがあった。

今は「全国の町の本屋さんを元気にする」ために尽力しているという。本屋さんに利益が落ちるように、大手取次店にも交渉を重ねているそうだ。本、映画、音楽の連携によるメディアミックスで時代の先端を走っていた人としては意外な気もするが、貫いてきた出版人としての原点に立ち返ったということなのだろう。