【多事蹴論(25)】日本の司令塔が行う“謎の儀式”とは――。ブラジル出身のラモス瑠偉は19歳だった1977年に初来日し、読売クラブ(V川崎=現東京V)に入団。抜群のサッカーセンスですぐに頭角を現し、93年に発足したJリーグでV川崎を初代王者に導いた。89年に日本国籍を取得し、日本代表入り。10番を背負う司令塔として攻撃陣をけん引し、日本を世界レベルにまで引き上げた。

 そんなラモスはV川崎時代、試合のためスタジアム入りすると、キックオフ直前のロッカールームで毎回ある儀式を行った。それは神様へのお祈り。敬けんなキリスト教徒のラモスは簡易型の祭壇を設置し、その場にひざまずいて勝利を願っていたという。これはホームやアウェーに関係なく、試合に臨む前に実施する恒例のセレモニーでイレブン間ではよく知られた行動だった。

 93年にV川崎に加入したビスマルクがゴールを決めた際や試合後にピッチで行う「お祈りポーズ」が有名だが、ラモスが祈りをささげるのは周囲に誰もいないときだけ。選手たちが試合前のトレーニングのためピッチに向かう中、1人だけロッカーに残る。この間、試合に向けた準備をするスタッフやコーチ、チーム職員らを含めて全員が退出するのが暗黙の了解で監督といえども立ち入り禁止となる。その「ラモスタイム」に儀式を実施するが、多くのイレブンはラモスが祈る姿を見たことがないそうだ。
 
 さらに試合後にも欠かせない定番の儀式があった。少し甘めの缶コーヒーとかりんとうをセットで食するというもの。珍しい組み合わせだが、特に缶コーヒーはラモスなりのこだわりがあり、某有名メーカーのものでなければならなかった。当時のスタッフは「最近は自動販売機で売っていないのでいろいろと探して…。この銘柄でないとラモスさんに怒られるから」と、試合前になると調達に奔走したそうだ。

 また、かりんとうについては試合後、ラモスに袋ごと手渡し。それをがりがりとかじりながら缶コーヒーで流し込んでいたが、特別な理由はなかったという。同スタッフは「試合後、疲れている中で甘いお菓子を食べるのはラモスさんくらい。それにラモスさん以外の外国人はあの見た目に手を伸ばそうともしない」と話すように、黒くうねうねとした姿からあらぬ物を想像するため、外国人には人気がなかった。

 かねて「大和魂」を連呼し「青い目をした日本人」「日本人よりも日本人らしい」と言われたように、義理と人情を大切にしてきた。試合後はいつも「生ビールと枝豆」を楽しみに居酒屋へと繰り出し、好物は「しょうが焼き」と「みそラーメン」。とてもブラジル出身者らしくなかったが、舌鋒鋭く日本サッカー界に厳しく提言するなどピッチ内外で果たした功績は大きい。