演歌・歌謡曲の世界で「第7世代」と呼ばれる若手歌手が台頭しています。日刊スポーツ・コムでは「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」と題し、音楽担当の笹森文彦記者が、そんな歌手たちを紹介していきます。歌唱、三味線、尺八の三刀流で活躍する彩青(りゅうせい=19)の第2回は、師匠の細川たかし(71)との出会いについて聞きました。

身ぶり手ぶりを交えてインタビューに応じる彩青(撮影・河野匠)
身ぶり手ぶりを交えてインタビューに応じる彩青(撮影・河野匠)

5歳から民謡を習い始めた彩青は、その才能を一気に開花させていく。民謡の小学生日本一、中学生日本一になるなど、数々の大会で優勝。7歳から三味線、9歳から尺八の稽古も始め、ぐんぐんと腕を上げた。所属する会などが依頼を受け、小学生の頃から高齢者施設などを回り、民謡や演歌歌を披露した。

彩青 いろんなところで慰問という形で歌わせていただきました。民謡もとても喜んでいただきましたが、演歌を聴くと皆さんが感動して涙が出たって、すごく喜んでくださった。三橋美智也さんの「哀愁列車」などいろんな曲を歌わせていただきましたが、素人の僕の歌を聴いて感動してくださった。演歌もいいなって思うようになりました。

徐々に「歌手」という夢が膨らみ始めた。既に多くの民謡の大会で優勝し、天才少年として、テレビにも出演するようになった。小学校高学年になると、テレビ朝日系「関ジャニの仕分け∞」に出演する機会を得た。これが師匠となる細川たかしと運命の出会いにつながった。

彩青 番組は見ていましたが、最初の出演のきっかけは両親なんです。詳しい話は後から聞いたのですが、民謡の上手な子はいっぱい見ているけど、他のジャンルの、同世代の歌のうまい子が世の中にはたくさんいる。そのことを経験させたい、見せたいと応募を勧めててくれたんです。

歌のうまい「キッズ軍団」の一員として4回出演した。その4回目が、細川率いる演歌軍団との対決だった。彩青は、同じ民謡出身の大先輩、福田こうへいと、福田のヒット曲「南部蝉しぐれ」で対決。敗れはしたが、細川に強烈な印象を与えた。

彩青 細川師匠が番組後に「小学生にしては節回しもいいし、声変わりをうまく乗り越えてくれれば、弟子にしたい。お父さんお母さん、歌手にする気ある?」みたいな感じで声を掛けてくださったんです。(一緒に来ていた)両親はすぐに「よろしくお願いします!」って(笑い)。

笑顔で腕を組む彩青(撮影・河野匠)
笑顔で腕を組む彩青(撮影・河野匠)

細川は彩青と同じ北海道生まれで、民謡三橋流名取(三橋美智貴)でもある。親近感を持つのは当然である。彩青は11歳だった小学6年の時に、細川に師事した。まだ北海道・岩見沢の学生だったので、遠距離指導がしばらく続いた。

彩青 最初は自分の家で何曲か歌ったのをCDに録って、細川師匠に送っていました。聴いていただいて「ここをもっとこうしなさい、ああしなさい」って教えていただきました。その後、LINEを使うようになって、師匠のマネジャーさんに動画を送って見ていただいて、電話で教えていただいたりしました。師匠は、スキーがプロ級の腕前で、北海道にスキーをしにお帰りになった時や、食事しながら歌を聴かせて、と言っていただいたこともありました。

両親は福祉関係の仕事をしていた。小さい時から高齢者施設を回って民謡を歌うなどした際に、両親の仕事の大切さ、大変さを実感していた。「歌手」の夢と並行して、大学を出て、両親のように福祉関係の仕事に就きたい、と思ったこともあった。

彩青 もちろん歌手になりたいという思いはありました。でも将来のことを現実的に考える時期ってあるじゃないですか。そんな時、父が「(同じ福祉の仕事を目指すことは)とてもうれしい話だけど、彩青は彩青にしかできない音楽での福祉ができるんだよ」って言ってくれた。その言葉を聞いて、おこがましいですが、勇気をお届けできるような歌手になりたいと決意しました。

デビュー1カ月前に上京した。デビュー曲は「銀次郎 旅がらす」(作詞・高田ひろお、作曲・四万章人、編曲・伊戸のりお)に決定。プロモーション撮影など着々と準備が進められていった。

彩青 本当にワクワクでした。その反面と言いますか、北海道で民謡をやっていた少年がデビューして、歌を聴いてもらえるのだろうか、という不安もありました。でも師匠が「彩青をしっかり育てていくから、一緒に頑張ろう」って、背中を押してくださった。先輩弟子(で同じ民謡出身)の杜このみさんや、レコード会社の日本コロムビアの皆さん、そしてコロムビアに所属している大先輩の歌手の方々にも「彩青君、頑張ろうね」と声を掛けていただきました。やるしかない、と心が決まりました。

民謡で鍛えた歌唱力だけでなく、16歳の新人歌手がイントロや間奏で尺八を吹くスタイルは新鮮で、演歌ファンの支持を得た。第2弾「津軽三味線ひとり旅」では、三味線を弾きながら歌った。歌唱、尺八、三味線という三刀流が彩青の武器である。

彩青 今思っている夢はいっぱいありますが、まずは細川師匠の背中を追いかけ、年を追うごとに声に迫力が増し、キーも衰えない、師匠のような歌い手になりたい。成長して「彩青の歌が聴きたい」「聴いて良かった」と思ってもらえるような歌手になっていきたいです。(つづく)

桜の木をバックに師匠細川たかし(右)とツーショットに収まる彩青
桜の木をバックに師匠細川たかし(右)とツーショットに収まる彩青

◆彩青(りゅうせい)本名・横田彩青。2002年(平14)8月29日、北海道生まれ。「彩青」は誕生年に開催された日韓共催のサッカーW杯で、日本中を彩った日本代表ユニホームのサムライブルーから「彩」と「青」で命名。民謡は正調江差追分北優会で、三味線は三味線研究会夢紘座で学ぶ。日本郷土民謡民舞協会の第53回青少年みんよう大会で小学生日本一。民謡民舞少年少女全国大会で中学生日本一など大小50以上の大会で優勝。19年「銀次郎 旅がらす」で日本コロムビアからデビュー、日本レコード大賞新人賞受賞。20年5月に第2第「津軽三味線ひとり旅」を発表もコロナ禍で思うように活動できず、今年2月に「津軽三味線ひとり旅『青春十八番』盤」として再発売。趣味は民謡、演歌の古いレコード収集と裁縫、尺八造り。両親と祖母の4人家族。身長167センチ。血液型A。