【久保康生 魔改造の手腕(31)】韓国球界でも私は培ってきたコーチング技術、理論を徹底して選手に伝えました。

 これまでもコラムに書かせていただきましたが、野球の物理の法則、地球の引力を利用した投球理論など、通訳を通じてしっかり理解してもらいました。

 私をサポートしてくれた通訳はユ・チャンジュンという人物でした。日本の栃木県の名門・作新学院に韓国から野球留学していた経験もあり、日本語はもとより野球用語も完璧に訳してくれました。

 もう本当につきっ切りで朝から横にいますから、選手への技術の説明なども熱心にメモを取ってくれているわけです。結果的に私の指導を最も身近で多く吸収した人物といえます。

 作新学院といえば甲子園で全国優勝するような学校ですから、チャンジュンもそれなりに野球の実力がありました。投手でプロになれるポテンシャルもあったようですが、断念したとのことでした。

 しかし、私が選手に伝えたことを理解し、選手と一緒になって練習にも参加していたチャンジュン。選手寮住まいだったこともあり、夜間にこっそり個別練習をしていたそうなんです。

 私が選手たちに施した練習を夜間に反復練習する。それを継続した結果、私が日本に帰国したあと、斗山ベアーズの入団テストを受験して合格してしまったんです。

 その後の活躍まで私は詳しくは分かりませんが、2013年には背番号95の投手として登録されていましたからね。こんなことあるんだなと驚いてしまいました。通訳が私のコーチング理論を一番勉強していましたよということになりますね。

 結果として韓国での指導を非常に評価していただく形になりました。私が在籍したわずか6か月の間に成長してくれた選手たちのおかげです。

 ただ、9月の途中には阪神のGMに就任していた中村勝広さん(元監督)から連絡があり、阪神の投手コーチ復帰のオファーをいただいていました。

 若手の育成に関わりたいという私の希望と、中村GMの要望が一致したこともありトントン拍子で話は進んでいきました。そして1シーズンのブランクを経て12年オフには阪神に戻ることに決まりました。

 斗山ベアーズからも本当に熱心に残留要請をいただきました。最終的にはお断りさせていただきましたが「いつでも久保さんの席を空けておきます。戻ってきてください」ともったいない言葉をいただいて、日本に戻らせていただきました。

 NPBを離れたのはたったの1シーズンです。でも、気持ちとしては1年離れるだけで全然変わりました。韓国の若者は兵役という義務を抱えて野球に向き合っています。若くて最も大切な時期です。私たちの感覚からすれば「一番、伸びる大事な時間にもったいない」と思ってしまいますが、それも現実です。

 そう思うと日本の野球選手たちには、もう少し野球に対し真摯につき合ってもらいたいと思います。でも、それを上から目線で訴えたところで響かないんです。

 そりゃ、五輪でメダルを獲得すれば兵役免除になるなら、必死にもなるでしょう。打者ならインコースにボール球がきたら、ぶつかりにいきますよ。

 ただ、韓国の若者にとって軍隊に行く経験は貴重でもある。短い間、日本を離れただけでいろんなことを考えさせられましたね。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。