【プロレス蔵出し写真館】「ジャンボ鶴田23回忌追善興行」が5月31日、東京・後楽園ホールで開催される。対戦カードは未定だがDDTの秋山準、ドラディションの藤波辰爾、FMWーE大仁田厚の参戦が決定した。

 今後は生前、鶴田と縁があった選手やOBにも、出場や来場を呼びかけていく意向だという。

 生前、現役時代の鶴田はマスコミに対してサービス精神が旺盛で、茶目っ気もあった。

 今から32年前の1989年(平成元年)8月7日、湘南・片瀬江ノ島海岸で行われた「第3回ビーチバレージャパン」のエキシビションに、谷津嘉章との〝五輪コンビ〟で参加した時のこと。

 集まった6000人の観客から声援を浴びてコートに迎えられた五輪コンビは、試合前からみっちりと練習。鶴田は「AクイックやBクイックもマスターした」と余裕をかまして、宿敵・天龍源一郎の友人、落語家の三遊亭楽太郎(現・円楽)
&タレント・江藤博利(元ずうとるび)ペアと対戦した。

 いざフタを開けると、バレーボール経験者の江藤が活躍。鶴田が何とか押し込んで1点は奪ったものの1―9と劣勢。楽太郎に「相手にならん。川合(俊一)か熊田(康則)を呼べ」とマイクでヤジられる始末。急きょ堀江陽子(後のヨーコ・ゼッターランド)を助っ人で呼び寄せた。

 3対2の変則ビーチバレーとなったが、ここから五分の勝負となった。楽太郎は流れを止めようとタイムを要求してひと息入れようとしたが、鶴田は認めず楽太郎にボディスラム一発。そして水が入ったドラム缶に放り込んだ(写真)。

 再開して12―13まで追い上げたが、結局、江藤のサービスエースが決まり12―15で五輪コンビは敗北した。鶴田はゲームを盛り上げた堀江を谷津、楽太郎、江藤の4人で担ぎ上げて観客にアピール。

 楽太郎、水着姿の堀江との絡みというサービスショットを提供してくれたのだった。  

 さて、楽太郎といえば、年間パスでよく全日本プロレスの後楽園大会をリングサイド最前列で観戦していたのだが、時に鶴田は場外乱闘で楽太郎の席になだれ込んでいた。これは鶴田流の演出ハプニング。

 余談だが、リングサイドで写真を撮っているカメラマンも、場外戦に巻き込まれ鶴田に押しつぶされることがあった。もちろんケガをしないよう、うまくやってくれる。いつだったか、小学館の大ベテラン・木村盛綱カメラマンもすってんころりんさせられ、「痛くないんだよ」。不思議そうな顔で喜んでいたっけ。

 ところで、89年の鶴田は、4月18日に東京・大田区大会でスタン・ハンセンを破りインター、PWF、UNヘビー級王座を統一して3冠ヘビー級初代王者に輝いた。6月5日、日本武道館で天龍に敗れ王座を失ったものの、10月11日、横浜大会で王座を奪回。

 谷津とのコンビで7月22日、金沢大会で天龍、ハンセン組を破り世界タッグ王座を奪取。9月2日(日本武道館)にはパートナーの谷津とシングル戦を行い、バックドロップ2連発でフォール勝ちを収めた。

 全日プロの絶対エースとして、他の追随を許さなかった(敬称略)。