【冬季五輪の主役たち(連載6)】2010年バンクーバー五輪で日本勢は計5個のメダルを獲得した。フィギュアスケート女子シングルの浅田真央とキム・ヨナ(金妍兒=韓国)の同世代対決が大きな注目を集めた一方、開幕前は他競技にスポットライトが当たっていた。しかも思わぬ形で…。

 スノーボード男子ハーフパイプ代表の国母和宏は出発の際、公式服装を着崩して成田空港に姿を見せた。ネクタイのヒモを緩め、シャツの裾を外に出し「腰パン」で移動する様子がカメラに収められると、多くのメディアで取り上げられた。本人は〝ファッション〟のつもりだったかもしれないが、全日本スキー連盟(SAJ)や日本オリンピック委員会(JOC)に抗議が殺到。ドレッドヘアや鼻ピアス、サングラスを着用していたことも批判の対象になった。

 その後、現地に入った国母は選手村の入村式参加を自粛。また、記者会見で服装について問われると「ちっ、うるせーなぁ」という言葉がマイクに拾われ、続けて「反省してま~す」と返して火に油を注いだ。

 これらの〝問題行動〟を受けてSAJは国母の出場辞退を検討。しかし、日本選手団の橋本聖子団長の判断により、開会式を欠席させるものの試合出場を認める形で決着した。結局、国母は決勝1回目の着地で転倒して流血する場面があったが、8位入賞で大会を終えた。

 初出場だった06年トリノ五輪は予選敗退。そこから国際大会で結果を残した国母はメダル候補として活躍が期待されていた。ところが、2度目の大舞台は実力よりも言動が目立ってしまった。当時21歳。自身の〝スタイル〟を貫いた結果だった。

 その一方、国母は技術や経験値、選手の信頼があったことから、大会後の13―14年シーズンはSAJのコーチを務めた。

 こうして世間の風向きも変わったかに思われたが…。20年には米国から大麻を密輸したとして大麻取締法違反などの罪に問われ、懲役3年、執行猶予4年の判決が言い渡された。関係者からの人望は厚くても〝ネガティブ〟なイメージは払しょくできていない。