19年6月から血液のがんの一種、症候性多発性骨髄腫と闘う漫才師の宮川花子(67)が3日、オンラインで取材対応し、近況を報告した。この日は、相方で夫の大助(72)との二人三脚で闘病してきた様子をつづった「あわてず、あせらず、あきらめず」の出版について会見。漫才での“婦唱夫随”さながらの元気な姿を見せた。

入院当初は下半身や手も動かず、リハビリを経て、右手の握力が10キロ程度に回復。車いすで動け、何かにつかまれば立って歩くことも可能な状態に届いた花子だが、口の方はもうすでに完全復活。闘病を思い、涙した大助に「あんたが泣いたらあかん、言うたんやん」とピシャリ。声の張りもよく、見舞いの電話をよくくれるという桂文枝からは「花ちゃんと話したら元気になる」と言われたと明かした。

昨年12月19日に奈良県生駒市で約2年半ぶりに舞台出演。今も講演会などの仕事依頼は多い。現在は新たな抗がん剤治療を始め、週1回通院しながら、リハビリも並行。今後はじょじょに活動を再開させていく方針だ。ただ、最終目標の「NGK(なんばグランド花月)でセンターマイク」への思いに、花子は「もう遠く(の夢として)置いております」と口にした。

もちろん、決してあきらめたわけではない。病に完治がないと知り「薬と日進月歩で」生涯闘う覚悟は決めた。機関銃のように花子がしゃべり、大助が隣で「あわわ…」。至宝の夫婦漫才「大花漫才」は、結婚直後から大助のスパルタ指導で完成。花子はかつて「のどから血が出るほど練習っていうけど、ほんまに出た。(練習場の)公園見るだけで嫌やったもん」と振り返った。その道程を経て、極めた今や「上方の至宝芸」だけに、漫才復帰へは恐れ多さがある。

大助が代弁した。「歩いてセンターマイクに行けたとしても、今の嫁はんの体力では10分、20分と立って会話することは不可能。椅子に座れる座談会とか、トークショーとかが中心になっていく」。隣で花子もうなずいた。

大助は「でもいずれ、嫁はんの体力が戻って、センターマイク前に立ったら、ぶっ飛ばしてもらいますよ。でも約束ができない。一喜一憂の日々なんです。それでも僕らのような高齢者を励ませるような活動ができたら」とも話した。

花子自身、病気と闘いながら「遠くの夢は見れなくなった。ちょっと先のこと考えるように。1週間先とか。今は、明日が抗がん剤なんで『針がうまく入ったらいいな』とか」とも吐露。それゆえ、NGKでの漫才は「遠い夢」に置く。

漫才への思い、知識は誰よりも強くとも、滑舌の悪さに悩んだ大助。負けん気で夫に付き添い、逆転の発想で大助が「しゃべらない」花子の機関銃漫才を生み出した夫婦だ。近い夢の積み重ねが、遠い夢につながることも熟知している。

リハビリ、治療を継続しながら、体調を整える日々。花子は「趣味の手芸をしながら韓流ドラマを見んのが楽しみ」と、息抜き法も取得した。夫の介護に感謝しつつも「福山雅治やったらええのに」と毒づいてみせ、大助は「いや、僕はただいま恋愛中です」といちずさをアピールする。

大助もかつて脳出血を患い、近年は腰を痛めるなど、体調も万全ではなく「ぼちぼちです。町内ウオーキングにも参加したりしてますけど、ちょっとね…」と漏らした。すると、すかさず「いや、お口(しゃべり)の方は前から弱ってるやん!」と取材会を再び爆笑に巻き込んだ。

NGKでの漫才復活へ-。花子からは「可能にしたいと思います。自分が一番期待しています」との約束も飛び出した。