あなたの話をお聞かせください――。作家で僧侶の家田荘子氏が気になる人物に迫る「駆け込み寺」対談編。話すことで自身を見つめ直し、人生の学びを見いだす。今回のゲストは1990年代にブレークし、CMやバラエティーで大活躍したタレントの鈴木蘭々(46)。人気絶頂期に渡米し、その後は舞台女優、実業家として活動した蘭々の素顔に家田氏が迫った――。

 家田 現在は事業をされている。

 蘭々 化粧品の会社を立ち上げて、丸7年ぐらいになります。

 家田 1990年代は大人気でした。芸能活動を始めたきっかけは。

 蘭々 松田聖子ちゃんに憧れて。オーディションを受けるにはお金がかかるのでスカウトされるために原宿に通ってました。結果、(名刺が)10枚以上集まっちゃって。

 家田 どうやって(事務所を)選んだ。

 蘭々 一軒一軒、電話して事務所の受付の対応を試したりしてました。中学1年生で(笑い)。

 家田 すぐブレーク。

 蘭々 忙しくなるまでは6~7年かかってます。オーディション100本受けたら100本落ちるぐらいの合格率の低さ。でも楽しかった。

 家田 その後、「ポンキッキーズ」(フジテレビ系)に出演。

 蘭々 受かる本数は少ないんですけど“話題のCM少女”みたいになってきて。社長に「オムレツパンチ(同番組で使われていたフレーズ)をやりたい」って言ったら、その足で営業に行ってくれてオーディションを受けることになりました。

 家田 どうでした?

 蘭々 待機時間と思ってレストランでメロンパフェを食べながら、案内係と思ってた人にいろいろな質問に答えてたら、それがオーディションだった(笑い)。出たかった番組だから、楽しかった。

 家田 不思議キャラは作ってた?

 蘭々 作ってるつもりはなかったけど、いま見ると「何でこんな(感じ)だったんだろう」とは思うことはあります。昔の日記を見ると、その時代時代にテーマがあって。当時はアメリカの少年がテーマだったらしく。でも私の何を不思議(キャラ)と思っていたのか、むしろ聞きたい!

 家田 その後、CM女王に。お給料は?

 蘭々 ご想像にお任せします(笑い)。夢を残してるぐらいがいいんです。私は堅い方なんで家計簿も付けてました。

 家田 人気者になる感覚は。

 蘭々 ユーチューブで昔の番組が上がってて、私が出てるんですけど何ひとつ記憶がないんです。忙しかったのか、昔過ぎて忘れちゃったのか。

 家田 人気絶頂の時にアメリカに行った。

 蘭々 もともと海外に行ってみたいなというのがあった。社長に言ったら「いいよ」って。

 家田 なぜ、海外に。

 蘭々 人気が出るってこんなものなのか、と思った時があって。うれしいんだけど、何か満たされてない。次に進んで行くために引き出しが空っぽになってるのかもしれないと思って。

 家田 どれくらい行ってた?

 蘭々 1か月半ぐらいで帰ってきました。帰ってきたら社長から「移籍しないか」と言われて、それで超最大手に移籍することになって。移籍してすぐに仕事をするのは元の会社に対する礼儀があるから、1年間ぐらいはセーブしないといけないから「アメリカ行ってこい」と言われて、「あっ、じゃあ」みたいな感じで(笑い)。

 家田 仕事がなくなる不安は。

 蘭々 あんまりそういうところに発想が及ばない。行けることが喜びだった。

 家田 収入の問題は?

 蘭々 これで行ってこい、みたいな。私はいらないって言ったけど。断ることが失礼みたいな空気。

 家田 やっぱりスターは扱われ方が違う!

 (対談の模様はユーチューブ家田荘子チャンネルで配信予定)

☆すずき・らんらん 1975年8月4日生まれ。東京都出身。中学1年生の時に東京・原宿でスカウトされ、芸能界入り。94年に「ポンキッキーズ」に出演。安室奈美恵とユニット「シスターラビッツ」を結成した。バラエティーに多数出演するほか、CM女王と言われるほどの売れっ子に。98年に米ニューヨークに留学。帰国後は舞台などで活動。2014年に基礎化粧品ブランド「NARIA COSMETICS」を立ち上げ、商品プロデュースを行っている。