天龍源一郎のWARを1994年8月、押しかけ強盗のように急襲した謎の覆面男が赤鬼だ。

 見るからに急造感満載のチープなマスクは実にうさんくさい。しかもどこで調べたのか、7月に休養のためハワイを訪れていた天龍に「俺はレスリングには自信がある。俺と戦え」と直談判。当然、天龍は無視した。

 7月末に帰国すると赤鬼からエアメールが届いた。写真には「RED FIEND(赤鬼)185センチ120キロ」と記されているのみ。当時の記事は「メキシカンのような褐色の肉体ははちきれんばかり。詳細は不明だが赤鬼を名乗るあたりは相当な日本通だ」とかなり適当だ。しかも天龍は「よーし、やってやる」と8月シリーズの参戦を快諾。細かい点を無視して即決する流れの速さはプロレスの醍醐味ともいえる。

「こんなマスクふざけてるよ。ウチの団体がナメられてるってことだ。俺が化けの皮をはいでやる」と覆面をはぐことを宣言した。そして謎のベールに包まれたまま来日した赤鬼は、8月25日のシリーズ開幕戦(東京・ホテルイースト21)で石川敬士を一蹴。翌日の横浜では天龍との初対決(天龍、石川組対赤鬼、ケンドー・ナガサキ組)が実現し、ナガサキが石川をフォールした。

 赤鬼の快進撃が始まるかと思われたが、時期が悪かった。当時のWARは冬木軍、ナガサキ軍、相撲軍団、新格闘プロなどが混在。全員が天龍の首を狙う抗争がハチャメチャに混乱していたのだ。赤鬼もシリーズ後半には青鬼なる謎の相棒を呼んで、軍団抗争に割り込みを図るも数に埋もれる結果となり、天龍にシングル戦で勝つことはできなかった。

 実は正体はWWF(現WWE)にも参戦したドン・ムラコで、青鬼はタイガー戸口。いずれも実力者だったが、参戦した時期が悪かった。赤鬼は結局、3回来日するも実力を発揮できずに終わる。かくしてWARの「赤鬼と青鬼」物語は切ない結果に終わった。