来月2日にシングル「母は海」でメジャーデビューする歌手小牧勇太(41)が28日、都内で会見した。「母は-」は一昨年12月に亡くなった作曲家・中村泰士氏(享年81)が作詞・作曲した遺作で、遺志を継いでの発売となった。

小牧は普段は、通販事業とコンサート開催を主な事業とする「夢グループ」の社員として事務作業をして働いている。橋幸夫(78)の引退コンサートツアーのスタッフも務め、前座でステージにも立っている。会社員と歌手の“二刀流”だ。

1972年「喝采」、82年「北酒場」で2度レコード大賞を受賞した中村氏は歌手としても活動。小牧は中村氏のマネジャーを務めていた。「中村先生が夢グループのコンサートに出ていた時に車の運転手を務めさせていただきました。その時に、いろいろな話を聞かせていただきました」と振り返る。

亡くなる2カ月ほど前に、中村氏から声が掛かった。「楽屋に呼ばれて、『お前のためにいい曲ができたよ』とギターを弾きながら聞かせてくれた。それが『母は海』とカップリングの『天晴れ男子』でした。先生からは『もじもじしている気持ちを捨てろ。前に出て人に歌を聞いてもらうんだという気持ちを出していけ』と教えてもらいました。考え込むと下を向く癖があるんですが、ステージに上がると時に『それはダメだよ。お客さんの方を向いて、堂々と歌いなさい』と言われました。この歌で新人賞を目指します」と言い切った。

コンサートツアー中は酒席をともにすることもあった。「『お前は演歌だな』と『北酒場』を歌わされました。いつもブランデーのロックを飲んでて強い。『お前も飲め』と言われましたが、僕は弱いので先に酔っぱらっていました」と話した。

橋のコンサートのフィナーレでは、橋が吉永小百合とデュエットした62年の日本レコード大賞受賞曲「いつでも夢を」を一緒にステージ上で歌っている。「なかなかできない経験をさせていただいています。橋さんからは『この世界は甘くないぞ。でも、目指すからには頑張りなりなさい』と言葉をかけてもらいました」と明かした。

歌手を目指して、23歳の時に石川県金沢から上京。「上京前は金沢で開かれるコンサートの前座みたいなことをしていて、ちょっとした勘違いをしていました。これで東京に行けば歌手になれると思っていたんです。東京に来て、アルバイトから転々として、飲食店の店員、ラーメン店の店員をしながら歌手を目指していました」と振り返る。

6年前にラーメン店に勤務している時に、夢グループの石田重廣社長に出会い入社した。「30代半ばで演歌歌手を目指しているやつがいるといううわさを聞きつけて、会いに来てくれた。歌手になれる保証はなかったけど、たくさんの歌手に会うことが出来て、勉強をさせてもらいました。普段の業務はコンサートチケットの受注と商品クレームを受けています。メジャーデビューを親に報告したら『やっとお前も歌手になれたな』と泣かれました。ここからがスタートだと思っています」と話している。

夢グループの石田社長は「夢グループのホームページは毎日1万人の方が見にきてくれる。通販番組の中に小牧勇太のCDを紹介するコーナーを作って買ってもらう。まず、1万人に買ってもらう。新人と新商品、例えばカーナビをリンクさせて売っていきたい。ぜひ、新人賞を狙っていきたい」と話した。