1990年代前半に過激なデスマッチでインディ界に旋風を巻き起こしたW★INGは、多くの怪奇派マスクマンを来日させてカルト的人気を呼んでいた。

「悪魔のいけにえ」の殺人鬼をそのままリングに登場させたレザーフェイス、「エルム街の悪夢」のフレディ・クルーガー、欧州伝説の幽霊・ブギーマン…。中でも卓越した実力を誇ったのが「ハリウッド・ナイトメア」のガイコツ人間、クリプト・キーパーだった。

 いずれも試合内容よりもおどろおどろしいムードを全身に漂わせて会場を沸かせていたが、キーパーはしっかりした技術を持っていた。それもそのはず。正体はプエルトリコWWCの重鎮で、WWWF(現WWE)でも活躍したカルロス・ホセ・エストラーダの息子、ホセ・エストラーダ・ジュニアだったからだ。父親は78年1月に藤波辰巳(当時)に飛龍原爆固めで敗れ、WWWFジュニアヘビー級王座を奪われたことでも有名だ。

 93年の初来日時は棺桶に入って登場。いかにも墓場から掘り起こされたようなボロボロのスーツ姿で衝撃を与えた(後になぜか野球のユニホームになる)。風貌とは裏腹なテクニックと必殺のギロチン式フェースクラッシャーで怪奇派の頂点に立ち、W★INGヘビー級王者となった。

 この時期、今では天下の新日本プロレスの重鎮となった邪道&外道も参戦していたが、94年1月11日大阪では、当時カリビアンヘビー級王者だった邪道の挑戦をギロチン式フェースクラッシャーで退けて防衛に成功している。邪道にとっては思い出したくない過去だろうが、もっと思い出したくない過去も山ほどあるはずなので、今では気にもしないだろう。

 キーパーはジェイソンともバンクハウスデスマッチなどで激闘を展開したが、団体は94年3月に放漫経営がたたり消滅。ジェイソンやフレディらはIWAジャパンに移籍するが、キーパーはそのまま日本からフェードアウト。中身の人は97年からWWCを経てWWFに参戦し、邪道&外道同様に大出世している。