13日投開票された石川県知事選は、結果判明が14日未明まで持ち越された末、元文科相で現役プロレスラーでもある馳浩氏(60)が約8000票差で新人5人による大激戦を制した。プロレスラー出身で自治体のトップ、それも都道府県の首長となるのは初。選挙戦では各界から大挙応援が駆けつける総力戦を展開し、一時は苦戦が伝えられたが、落選ピンチからの大逆転劇で見事、知事の座を射止めた。

 馳氏がリング上同様、何度も追い込まれる崖っ縁から逆転勝利をつかんだ。昨年、衆院選不出馬で退路を断ち、地元の県知事選にいち早く名乗りを上げたが、参院議員の山田修路氏(67)、金沢市長の山野之義氏(59)が相次いで立候補を表明。いずれも自民党系で異例の保守分裂となり、さらに新人2人も加わる5人での戦いとなった。

 党有力者の支援を得て視界良好だったハズの馳氏だが、選挙戦の途中で一時、苦戦が伝えられ、情勢調査では3番手まで後退した時もあった。そうしたなか、馳氏は徹底したドブ板回りと大空中戦を展開した。

 安倍晋三元首相、菅義偉前首相、高市早苗政調会長、小泉進次郎前環境相らが現地入りでゲキを送れば、ネット上ではプロレスラーの蝶野正洋、武藤敬司、長州力、さらにドリー・ファンク・ジュニアまでが後方支援。永田町では「石川が国政選挙以上ににぎやかで、大変なことになっている」と驚きの声が上がり続けた。

 もちろんこれは馳氏が高校教師、五輪レスリング代表、プロレスラー、国会議員時代に培ってきた人脈と人柄にある。馳氏は26年にわたる国会議員時代、歴代最多となる37本の議員立法を成立させ、自民党だけでなく他党との調整に汗を流した。日本維新の会が単独推薦したのも議員時代のパイプがあったからだ。

 選挙戦中盤から巻き返した馳氏は、終盤にかけては持ち前のタフネスさで完全に息を吹き返した。石川県で最も人口が多く票田となる金沢市で高い支持を誇る元同市市長の山野氏と攻防を繰り返し、最後の最後で競り勝った。

 馳氏は14日未明「(保守分裂で)溝が生まれたが、修復していくのも私たちの知恵だ。県民の思いを一つにして政策を実行していく」と強調した。

 選挙期間中、2度にわたって、石川県入りし、応援に回った維新の鈴木宗男副代表は「馳氏は国会議員26年の実績と、『石川県に夢と希望を与える』と情熱を込めて、訴えたことが勝利に結びついた。馳氏の得意技はノーザンライトスープレックスというが、最後は『ノーザンライト=ひたむきさ』が実を結んだ」と当選をたたえた。

 さらに宗男氏は馳氏にこう期待を寄せる。「馳氏は議員立法37本と超党派の議員連盟を17つくって、責任者として進めてきたリーダーシップと調整能力は大したもの。森(喜朗)元首相や安倍元首相とのパイプもあり、永田町や霞が関との人間関係も持っている。知事として、1期目は前任者の後始末、2期目は自分の公約を前面に出し、3期目で仕上げてもらいたい」と3期12年で、石川県を日本有数のトップ県に押し上げる役割を果たすべきとした。

 馳氏は新日本プロレスの大先輩となるアントニオ猪木氏を追いかける形で国会議員となった。気づけば25年を超える議員活動、プロレスラー出身として初の大臣就任、そして石川県知事当選…と猪木氏も成しえなかった道を切り開いた。

 特に首長選はプロレスラーにとって鬼門だった。猪木氏が東京都知事選挑戦を表明するも撤退。大仁田厚が参院議員引退後、長崎県知事選と佐賀・神埼市長選に落選し、ザ・グレート・サスケも岩手県知事選で敗れている。馳氏は初めてその厚く高い壁を突破し、歴史を塗り替えた。

 今後、知事として、どんな“馳色”を出せるのか。その手腕が問われることになる。